議士たちにしても、それはさぞうるさく迷惑なことであったろう。女は「女らしく」婦人代議士クラブというのをこしらえた。女らしく、お茶を立てて飲んだりしたが、政党間の利害は女らしさにも現実に作用して、こわれてしまった。そのとき新聞の批評は、どうであったろうか。「やっぱり女は」という表現が加えられた。共産党以外の諸政党における婦人代議士たちの立場は、あくまで女は女らしく、添えものとして扱われている。
こういう日本の古い、不親切な婦人への考えかた、感じかたは、一般女性の日常生活にもっと深刻に影響している。
参政権を得たり、組合が出来てから、若い娘が女らしくなくなった、或は女らしくなくなりはしないか、ということはどこでもいわれていることである。相当の見識をもっている人でも、これらの問題に何となく女らしさの気分をからめて取り上げる傾向があると思う。
自分の一票を誰に与えようと考えたとき、たしかに真面目な婦人は、演説をききに出かけずにはいられない。うちで、そういう話も出る。意見もいうようになる。それが、女らしくないというどんな根拠があるのだろう。熱中してほてらしている頬は、まがうかたない女の軟か
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