た形での機械的なあらわれを示しているという批評が一般にされた。原作者の脚色であったそうだから、作者中本たか子氏も、脚色のときはその点に考慮されたところもあったろう。然しながら、舞台での友代の味はやはり何と云っても本間教子のもので、特に、第三幕第一場の、初めて友代が国婦の班長になって会議へ出た報告を、工場の女を集めてやっている集まりの場面の空気など、どうも中本氏が脚本としてそこを描いたときのあと、教子が演じている気持との間に、極めて微妙なずれがあるように感じられ、いろいろと考えさせられた。
本間教子は、友代の素朴な熱心な活動的な天稟のままに気稟《テムペラメント》の側から全幕を演じ、この幕もそのようなものとして自然に演じているのだけれど、作者としては、友代のそういう自然発生の活動性、積極的な人柄を、周囲との関係でどう考えて見ているのだろうか。国防婦人会の班長になった友代が、その役目のなかで発揮してゆく能動性について、作者は何と腹の中で見ているのだろう。そういうことにも、大衆の婦人の生活の中にかくされている能動的なものはきっかけをつかんでゆくものだ、という歴史的な目が、情愛をもって注がれて
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