つけられた題ばかりでなく、日本のきょうの文学に、むしろ、文学の若いジェネレーションに大きいかかわりをもっている。十数年にわたった過去の戦争の年々、人間性をさかむけにする破壊的な戦争強行の現実のなかで、一年一年死の予想を前にして成長しつつあった青年たちは、その中で絶望を支え、人間として生きる精神の拠りどころを何に求めただろう。
 日本の治安維持法の非道さは、治安維持法そのものについて、それがあるということさえ公然と語れば、犯罪行為とした。東條内閣の言論、思想の圧迫は、言論の自由がなく、思想は抑圧されているという現実そのものを抹殺したほど、極端であった。そのような情勢のなかで、生きようとせずにいられない青春が、辛うじて周囲に見出してとりすがったのは、フランス文学であった。フランス文学と云っても、それは、ナチス軍がマジノ線を突破する以前の、ポール・ヴァレリーやジイドなどの文学だった。野間宏が、自分は十二年間ヴァレリーの言葉をもって語って来た、と回想しているのは、誇張ではないであろう。野間宏の人間と文学との過程が人々の関心をよびさましているのは、そのように、国内での脱出、国内亡命を生きて来た現
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