でなくなってゆくとき、その第一のシグナルとしてかかげられたものは何であったかを。それは批評の精神の抹殺であった。十五年の昔、素朴であり、ある意味では観念的であったにしろ、健在であろうとしていた文学の客観的批評の精神を襲撃して、当時の軍人、役人、実業家がよろこんでよむ「大人の小説」、軍協力文学を主唱したのは林房雄であった。こんにち、彼の「大人の文学」の内容は占領下日本に時めく四十代の「大人」をもてなし、たのしませる好色ものや息子ものとなった。あのころも今も、「大人の文学」は、そのときどきの勢に属して戯作する文学であった。そして、人間は理性あるものであって、ある状況のもとでは清潔な怒りを発するものであるということを見ないふりして益々高声に放談する文学であった。
読者は、黙ってはいても、判断しているのだ。そのおそろしさが、批評の精神に閃いていい。わたしたちのきょうの生活で、文学に批評の精神が活溌でないということは、重大であり、警戒されなければならない。それはとりも直さず、日本の人々が現実におかれている社会生活への批判が薄弱であるということなのだから。現代文学が、とんでも・ハプンという言葉を
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