ん)」、第3水準1−94−21]骨のゆえに、一九四〇年ごろのファシズムに抗する人民戦線は、日本で理性を支えるいかなる支柱ともなり得なかった。
『人間』十一月号に、獅子文六、辰野隆、福田恆存の「笑いと喜劇と現代風俗と」という座談会がある。日本の人民が笑いを知っていないということについて語りあわれているのだが、その中に次のような一節がある。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
辰野 福田さんの「キティ颱風」だって、現代の馬鹿囃でしょう。(笑)
獅子 「キティ颱風」でコミュニストが笑われていることに気のつかない見物人がいるのにはビックリしてしまったです。
福田 英雄だと思って居りますよ。(笑)
獅子 そうらしい。
辰野 二十代の人は笑わないでしょう。
獅子 そうすると、こういう時代には、ああいう役の喜劇化は、もっと強くする必要があるのかなあ。
辰野 だから、曾我廼家五郎が必要なのだ。(笑)どうも軽いアイロニィは解りませんね。ここで笑えと云ってやるサクラが必要なのだ。(中略)民衆というものはそういうことを云ってやらないとね、反対に解釈されてはちょっと困るからね。(笑)
[#ここで字下
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