ならわしをもっているという事実で、むしろ、こんにちの世界文学をおどろかせ、奇異の思いを抱かせることではないだろうか。
 そして、活溌な批評家と見られている人たちが、作者がだまって机の下に入れている「下じき」を見抜いて、それはラディゲであるとか、或はフローベルであろうかとか、当てものが一つの文学の仕事であるならば、それは文学的クイーズであるにすぎないだろう。
 日本のきょうの文学、しかも西欧的なものを意欲していると云われる人々の文学にあるこの奇怪な顛倒と時代錯誤への屈従、追随こそ、批評家を無力にし、骨抜きにしている。別の云いかたをすると、戦後の批評家の多くは、その人自身、国内亡命をしていた人々であり、作家と同時代人としての、同じ精神の習癖をもっている。いわば、日本のはだしの足の、指ではがれている生爪を見ることを顰蹙《ひんしゅく》するかたぎ[#「かたぎ」に傍点]をもっている。このことは、それらの人々の文学の言葉では、リアリズムへのぬきがたい疑いとして語られつつある。
 これらの複雑な精神の状態から、批評の無力は、ひきおこされた。したがって、先ごろ、文学の外にいると考えられている人々の間から、文芸評論に類似する発言が迎えられた現象もおこした。また、同じフランス文学によっているきょうの同時代の人々の間でも、時代性ぬきのフランス派――それは、ヒューマニズムの世界史に立つ展開とその具体的な内容について、さしたる重要性を見ようとしない立場の人々と、第二次大戦を通じてフランス人民の生活と文学とが変化した事実をはっきり把握している人々の間には、いちじるしい精神と気風との隔絶がある。後者は、こんにち日本の銀座にジュリアン・ソレルという服飾店などがあることを、アルジェリア女の口からきくパリまがいのフランス語とひとしく、その人々のためにまたフランスの良心のために汗ばむ思いで見ているわけである。
 民主主義文学の批評の能力が弱いということから、一九四八、九年に批評の無力が云われはじめた。民主主義文学運動は、批評の能力において欠けていたばかりでなく、新しい文学行動の創造力を日本の国土にめざましてゆく力においても欠けていた。
 従来の市民《ブルジョア》文学との関係で、このことが観察された場合、そこには、互いに影響しあっている何か微妙ないきさつはないだろうか。
 民主主義文学運動の側から考えると、
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