のであるが、それだけに無差別な横溢はしないものであると感じられる。しんから打込んだ男の子こそ生みたいのが母性の永遠の欲求である。過去の日本における結婚が女の生涯を縛りつけた重みの中には、生まされた子を育てるという悲しむべき受動性も勘定に入れられなければならないだろう。
 葉子の鋭い感情の中でこの生々しい部分は何か安易にまとめられて描かれている。葉子自身が母の心というような通俗的な定形に従って解決していたのであろうか。作者は「或る女」の広告として「畏れる事なく醜にも邪にもぶつかって見よう。その底には何があるか。若しその底に何もなかったら人生の可能は否定されなければならない。私は無力ながら敢えてこの冒険を企てた。」といっている。その「人生の可能」の一つとして定子に対する葉子の曇りない愛情を押したてているのであろうか。
 作者は性は善なりという愛の感情を人間の全般に対して抱こうとした人であった。それ故葉子の定子に対する愛をもあのように描いたのであったろう。しかし今日の眼で真に人生の可能を探ろうとすれば、却って軽蔑を押えられない木部の俤を伝えている定子に対する自身の女として堪え難い苦しい感情、
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