「或る女」の第二章はその部分だけを取扱って十分一つの長篇を描き得るものである。この部分の価値を若し作者が十分理解して少くとも前篇を構成していたら、「或る女」は一つの古典として読まれるに堪えるものになったであろう。
 葉子が自分の乳母のところで育てさしている娘定子に執着し、愛している情は筆をつくして描かれている。葉子の優しい心、女らしさ、母らしさの美を作者はここで描こうとしている。
 定子を見ていると、その父であった木部に対して恋心めいたものさえ甦える場面は、ある種の読者を魅するであろうが、真にある男を愛し、やがてそれを憎悪したという痛烈な経験をもっている女の読者がその部分を読んだとしたら、果して共感を胸に感じるであろうか。
 木部に対して、葉子はその貧弱な肉体と一人よがりの気質を軽蔑憎悪している。定子が生れた時、葉子は自分が木部のような者の子を生むという屈辱に堪えないで、他の男との間に出来た赤児であると母にさえ話した。そのような劇しい憎しみを持っている男の俤を伝えている定子が、無条件に可愛いということがあるだろうか。まして葉子のような気質の女である場合。――
 母性は非常に本源的なも
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