「ヒロシマ」と「アダノの鐘」について
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四九年十月〕

{}:親本の脱字を補った箇所
(例)軍人たちの言葉{に旧日本軍隊の言葉}をつかって
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 ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」と「アダノの鐘」は、日本の読者にもひろくよまれた。そして、ハーシーの作品ににじんでいる人間性に感銘されたという読後感が一致した。「ヒロシマ」は全く記録としてかかれていて「ヒロシマ」をドキュメンタリーに扱うために、ハーシーは日本へ来て、しずかに勤勉にゆきとどいた科学的態度で材料を集めた。第二次世界大戦が人類の生活にひきおこした破壊と惨酷の姿が、「ヒロシマ」にまざまざと一つの典型を示している。原子爆弾が、はじめて殺人の武器として登場したことと並んで「ヒロシマ」は、人類がその文学のうちに初めてもった記録文学の一種である。
「ヒロシマ」がすべての読者に与えた人間的な印象、そこに親切な観察者の眼と心が働いているという感銘は、ひとくちにジョン・ハーシーのヒューマニティと云われて来ている。し
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