かし、このヒューマニティという言葉を、ありきたりの心の温さとか柔軟な感受性とかいう人道主義的な枠の中で理解するだけでは足りないと思う。ハーシーが、一九一四年天津で生れ、中国で幼年、少年時代をすごしてからイエールとケイムブリッジ大学で学んだジャーナリストであるということは、ハーシーの人生の見かた、世界のできごとに対する態度に影響している。天津でミッションの仕事をしていたひとの息子として生れ、天津にいるアメリカ人の少年として青年時代の初期を中国に育ったジョン・ハーシーの心は、喧騒な中国の民衆生活のあらゆる場面にあふれ出ている苦力的な境遇、底しれなく自然と人間社会の暴威に生存をおびやかされながら、しかも、同じように無限のエネルギーをもって抵抗を持続してゆく人々の現実が、どんなに強烈な人間生活の色彩・音響・さまざまの状況の図絵として刻みこまれているかしれないだろう。彼は、その人の夢の中に中国の情景があらわれる少数のアメリカ人の一人なのである。そして、ジョン・ハーシーや、パール・バックやアグネス・スメドレー、エドガー・スノウ、ヒュー・ディーンその他見る夢のなかに中国があらわれることのある人々の精
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