少佐のような人々をもつ」可能があるからである。こんにちの世界で語られている崇高で理想にみちた「プランも希望も、条約も――すべてこういうものは何物をも保証し得ないのである。それを保証し得るものは人間である。いかなる圧迫にも撓まぬ人間の行動であり、わがジョボロ少佐のような人々のみである」と云っている。さて、ジョン・ハーシーは、マーヴィン将軍の専横によってアダノから追放されたのちのジョボロ少佐の生きかたを明日の作品によってどのように追究してゆくだろうか。「撓まぬ人間の行動」として世界の真実を語ろうとするジャーナリストの仕事を、どう展開してゆくであろうか。日本の読者の心にもジョボロ少佐のその後を案じる現実的なヒューマニティーは目ざめつつあるのである。
「アダノの鐘」の訳者杉本喬氏が、ジョボロ少佐をめぐる軍人たちの言葉{に旧日本軍隊の言葉}をつかっておられることは適切でない。そうしないと、軍隊の実感がすくないように思われたのだろう。むずかしいところであるが、旧日本軍隊の言葉づかいが再生されないと実感に遠いように感じる、訳者相互の感じそのものは問題があると思う。「アダノの鐘」はかなり率直に軍の官僚
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