房をすてるのを。だが、この自分が、同じその目に会うといつ思っていただろう。ドミトリーは苦しげに唸った。
「どうしてそんなことを云い出すんだ? 今のこと云ってるんだよ、俺は。」
「私はこれまでの永い永い年月のことを云ってんですよ、お前さんにやった。――お前さんは自分のことだけ覚えてる。――私はどんなに生きて来た? お前さんが兵隊に行っているうち、私はのんべんだらりとしていたかい?」
ドミトリーには、涙づかりになって「昔」で自分を押し包もうとしている無智な女房が、重荷に感じられて来るばかりである。
「――籠をかしてくれ!」
遂にドミトリーが云った。
「どの?」
「その。」
「ありや坊やのものが入ってる、やれないよ。」
ドミトリーは、室の天井からぶら下っている洗濯物の中から自分のシャツや靴下をひっぱりおろして、新聞紙へ包んだ。書類鞄へガサガサと机の上のものをさらいこんだ。
戸が開いた。そしてしまった。
暫くして、ナースチャがそっとグラフィーラの部屋を覗きに来た。彼女は、仰天してころがるように室からかけ出した。
コレクチーブ秘書のソモフが、人のいい胡麻塩髯をふるわしてとび込んで来た
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