ィーラとドミトリーのところへ、インガが入って来た。つとめて落付いた顔つきで、快活にインガは云った。
「すっかりうまく落つきましたか? 何て簡単なんだろう。素晴らしい!」
率直にグラフィーラが遮った。
「私は自分のところへドミトリーをひっぱりゃしないです。彼は自分のいいと思うところに居りゃいい。」
一層飾り気ない真心で彼女はインガに云った。
「――どうして、あんた、そんな工合に云いなさるんです? まるで私が涙の味も知らず、あんたの苦しみを見もしないように。私は、あなたでさえあれだけ愛しなすったかどうかあやしい程ミーチャを愛してる。けれど、こうやって、ほら辛棒した。自分の路を見つけた。そして、その路を行くんです。タワーリシチ、ギーゼル! 私の心のなかを見なさい。あなたに、何一つ悪いことを願っちゃいないんですよ。」
メーラに云わせれば、感動したインガとグラフィーラとが思わず互に抱き合ったのも、接吻しあったのも、小市民気質だそうである。けれども、今はただ一人の男のとり合いをやめて和睦した二人の女が抱き合ったのではない。ひろさの違いこそあれ、同じ目標に向って、めいめいはっきり自分の道をもつ二人の女同志が抱き合ったのであった。
「――すっかり……終った。」
インガが独言のように云った。
「――間違った!……自分をあざむいた!」
「簡単に生きて行きゃいいのさ!」
メーラが、またお座なり哲学を並べた。
「むずかしく考えなさんなよ!」
インガはメーラのようには考えぬ。
彼女にとって、失敗はさらに一歩前進するための教訓でしかない。インガは、決してあきらめはしない。彼女は未来の文化のために管理しているソヴェトの生産拡大の努力を。インガは決してあきらめてはしまわない。いつか彼女が新しいソヴェト女性として、性関係においても一つの新建設をすることを。勢のいい音を撒きちらして、卓上電話が鳴った。インガは新たな意志で受話器をとった。
「――はい。工場です。モスクワから?……どうぞ、インガ・ギーゼルがきいています。」
[#地付き]――(アナトリ・グレーボフ作「インガ」四幕から。) 〔一九三一年三月〕
底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
1980(昭和55)年9月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房
1952(昭和27)年12月発行
初出:「ナップ」
1931(昭和6)年3月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2002年10月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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