ことも何か納得出来る気がする。重工業の大工場は今更ラジオとさわぎはしないのであるし、景気の煽りで夜業しているような民間小工場では、ラジオをきいている暇もない、であろうから。
こういう細かい生活の実況であるにもかかわらず、総体としてラジオが益々大勢にきかれるようになって来ることには、一方で、出版物の高騰、書籍購買力の低下と伴い、一方では確に放送局で着眼しているとおりニュース価値の増大にあるだろうと思う。
極めて最近、特別ニュース放送が日に何回かされるような事情のもとにあっては特にそうであるが、それでなくても昭和七年頃から百万を突破してラジオ黄金時代に入ったというところに、大衆の社会的関心の全く独特な性格、方向が語られているのである。満州事件の起されたのは昭和六年の秋であった。七年には歴史的な血盟団の事件、五・一五事件もあり、日本には所謂非常時という空気が着々濃厚になって来た。それにつれて、ラジオ加入は増大し、「最初の百万に達するには七年十ヵ月を要したにかかわらず、次の百万増加には三年一ヵ月、更に次の百万増加には僅かに二年二ヵ月を要する結果になり、洵《まこと》に驚異すべき好成績を示して
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