をひくように描かれているし、みんなの知っている猿蟹合戦になぞらえ、猿は仇と昔ながらにきめて扱ってあるから、一応だれにでも訳はわかるような気がするのです。
ところがヨクヨク気を落ちつけて見ると、この絵物語は変だ。
そもそも遼東という握り飯を先ずとり、それを柿の種に代えられたという蟹は、日本とだけ書いてあるが、ジックリ考えれば妙な話です。日本と云っても資本家とそれに搾られている勤労階級というものがハッキリわかれてある。そのうちどっちが柿の種を貰ったのでしょうか?
満州へ出稼ぎに行ったという人は、われわれ働く者のまわりにもあります。だが満州にいる誰かに雇われて働らかされに行ったのであって、われわれの内誰一人、南満州鉄道の大株主だというものはない。
工場で誰の儲けのためにわれわれは、長い時間働らかされていますか。野良で、誰が懐手をして食う米をわたし達は作らされているでしょうか。
満州という柿の種にせっせと肥しをかけ働いている蟹はわれわれに近しい百姓姿に描いてあるが、みのった収穫は誰がとるかという肝心かなめのところは絵のどこにも描かれていない。
みなさん。ここが大切なところです。それは、絵にかけまい。満州こそ、三井、三菱、住友などという大ブルジョアが資本家・地主の政府[#「政府」に×傍点]と腕を組んでせっせと搾っているところだ、日本人が内地から出稼ぎに行って搾られているばかりではない。その土地の支那労働者、農民がもろともにしぼられている。
なぜ、三井とか三菱とかの大ブルジョアは満州を殖民地として搾るかと云えば、満州では石炭とか石油とか穀物にしろウンと取れる。日本のブルジョアはそういうものの経営と利潤とを自分等の手で独占し、内地で出来る商品を同時にそこへ売り込もうというこんたん[#「こんたん」に傍点]です。朝鮮、台湾で同じことがやられている。
日本のブルジョアがそうするだけでなく、イギリスのブルジョアはインドを、フランスのブルジョアはアフリカを、同じように殖民地としてしぼっては売りつけて来ているのです。
さて、展覧会の絵ときで見ると、柿のいい実を嫉んで猿が盗もうと満鉄包囲線をこしらえたような工合ですが、待って下さい。ここにも間違いがある。猿が自分でだけそんな鉄道をこしらえたのではないのです。
ひろい支那の、天然の産物=ブルジョアの儲けのたねに恵まれた土地を殖
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