して来た。どんな平凡な文字しかそこに表わされていないとしても、そのような種類の通信が存在すること、そのことが、既に一定の思想性の上に立った現象なのである。
岩ばかりの峡谷の間から、かすかに、目に立たず流れ出し、忍耐づよく時とともにその流域をひろげ、初めは日常茶飯の話題しかなかったものが、いつしか文化・文学の諸問題から世界情勢についての観測までを互に語り合う健やかな知識と情感との綯《な》い合わされた精神交流となって十二年を成長しつづけて来たという事実は、単なる誰それの愛情問題にはとどまらない。民主主義社会の黎明がもたらされ、抑圧の錠が明けられたとき、日本の文化人は既に十分の準備をもって新たな文化への発足をその敷居に立って用意していたか、そうでなかったかということに直接に関連して来る。今日、文化と思想との自由を云い、その自由な発展の可能を語るならば、それは重く苦しかったこれまでの十数年間を、文化人が理性の勝利を確信しつつどんな形で、文化の本質を守りつづけ、押しすすめて来ていたかという点への見直しなしに、真の歩み出しは不可能なのである。
雑誌編輯者としての「かん」から、今日のせわしない空
前へ
次へ
全10ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング