気に対して、そういう手紙の編纂掲載は時日からいって、まだ時機が早いというのならば、それは当っていると思う。けれども「思想性」がないから、という片づけかたには、それを掲載するしないにかかわらず、文化発展のための蓄積・文化進歩の一々の過程についての綿密な評価の欠如が感じられる。
第一次欧州大戦後、敗戦したドイツではフライブルグ大学教授ヴィットコップによって「戦没学生の手紙」が蒐録され、岩波新書の一冊として翻訳が刊行されていた。真摯な若い心に、戦争の理不尽と幻滅とは、どのように映ったか、しかも猶これらの若者達が、名状すべからざる困難な日々の中に、自分達の経験をかみしめ、それを記録して行った姿は、深く心をうつものがある。
日本で、戦争中、どれだけ沢山の有能な若者が死んで行ったろう。彼等はどのように自分の置かれた立場を理解し、省察し、批判したであろうか。
日本の当局は、若い精神とその洞察力とを極度に恐れた。通信はやかましく検閲され、帰還するとき日記をつけていたものはとり上げられて焼かれた。今日、わたし共は、愛する若者たちの命によって書かれた只一冊の「戦没学生の手紙」さえも持ち得ないのである
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