“慰みの文学”
宮本百合子

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(例)[#地付き]〔一九四八年三月〕
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 菊池寛の文学が大衆文学として広く愛されたというならば、その理由は菊池寛の文学と生活の基本的な調子、もっとも日本の半封建的な社会生活におかれている生活の常識に固く立っていたからだと思う。
 例えば「忠直卿行状記」などをみると大名の君主とその家来との間にあった極端な形式主義を足場にしたのに対して割合に人間らしい常識を持っていた忠直卿がジリジリしてその腹立ちを当時の君主らしい乱暴狼藉に現わした。そして大名を辞めて殿様でなくなったらすっかりカラッとすんだ気持になった物語である。
 昔あれを読んだとき、忠直卿の人間真実の追究というふうに理解したけれど、その後「俊寛」を読んで忠直卿の基礎は常識であると理解した。「俊寛」にしろ謡曲ではああいう哀れな物語にはなっていない。すべての物語が鬼気せまるように書かれていた。けれども菊池寛の「俊寛」は鬼界ヶ島で坊主の衣をぬいだらスッカリ丈夫になって土地の女を女房にして子供も何人か生んで毎日
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