勇しく大きな魚などを釣ったりしている姿で描かれている。
 菊池寛は英国文学の根柢にある常識性(例えばバーナード・ショウなど)と彼が曾つて貧しい大学生として盗みの嫌疑さえかけられたような生活を経てきたのが年と共に度胸の据ったあのような常識を持つに至ったのであろう。
 だから菊池の大衆文学には読者を「なるほどネ」といわせる力があっても、しかし読者を深く考えさせ、自分に疑問を持たせる、社会の進歩というのはどういうことなのかと反問させる力は絶対にない慰めによむ小説であった。こういうような性質を持つ菊池文学が愛された(換言すれば広く受入れられた)のは当然のこと、従って菊池の常識性の反面は戦争になればそれに適応した戦争を鼓吹し、戦争宣伝もどしどしやって疑問を持たなかった。戦争が一般人民にどんな犠牲を与え、しかも戦争物で自分がもうけてますます競馬馬を買うことが出来ても少しも疑問を持たなかった。「世の中とはそういうものさ」と思っていたのであろう。
 こういうふうにみてくれば菊池寛が広く読まれたというのは日本の人民の社会的批判と自分の運命についての意思がハッキリしなかったということの反映だと思います。

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