みる、驚きの色が浮かんだ。
「おい止まれ!」
彼は自転車で、我々の行く先を遮りながら叫んだ。
「君達はこの馬車をどこから取って来たんだ? おい馬を止めないか!」
彼は無暗に喚きながら、ポケットからピストルを取り出した。
「おい、馬を止めてくれないか! さもなかったら、馬に一発ズドンとやってしまうぞ」
ホームズは私の膝の上に手綱を置いて、馬車から飛び降りた。
「君こそ僕たちが逢いたいと思っていた人間なんだ。ヴァイオレット・スミスさんはどこに居るんだね?」
彼一流の早口で、はっきりと云った。
「それこそこっちが聞きたいことなんだ。君たちこそ彼の女の馬車に乗っているから、君たちこそ知っているはずだ」
「いや、我々は道でこの馬車に逢ったんだが、中は空っぽだったんだ。それであの娘さんを助けようと思って、引き返してゆくところなのだ」
「ああ神様、神様、――私はどうすればいいのですか?」
この変な男は、全く失望のどん底に落っこったように悲叫した。
「いえそれではあの、地獄の犬めのウードレーと、あの悪漢坊主共が、彼の女を掠奪したのです。さあではこっちに来て下さい。もしあなた方は本当に、私の味方でしたら、こっちに来て僕を助けて下さい。もし僕がチァーリントンの森で必死の覚悟を決めたら、彼の女を救うことが出来ましょう」
彼は全く乱心したような様子で走り出した。そしてピストルを片手に持って生籬の切れ目に突進して行った。ホームズはすぐその後から続いた。それで私も、道の傍らに馬を放して草を食ませたまま、ホームズの後に従ってかけた。
「彼等はここから出て来たんです」
彼はそう云いながら、泥の上にベタベタとついた足跡を指さした。
「おい、――ちょっと待て、――その籔かげに居るのは誰だ?」
そこに居たのは十七才くらいの、革のズボンをはいて、ゲートルをかけた、馬丁風の若者であった。そしてその者は、膝を縛り上げられて、仰向けに寝かされて、その上に額をひどく割られて、気絶して倒れていた。しかし生きてはいたが、私はちょっと見たところ、その裂傷は、骨までは徹《とお》ってはいないものだと思った。
「ああこれは馬丁のペーターだ」
この見知らぬ男は叫んだ。
「この男が彼の女の馬車を御して来たのですが、あの獣物《けだもの》連中は、この若者を引きずり降ろして、棍棒でやっつけたのだな。これはこのまま寝かしておきましょう。どうにも出来ませんから、――しかしまだ私たちは、彼の女の婦人として受ける、最大の悲しい運命から、救い出すことが出来るかもしれませんからね」
私たちは全く夢中で、樹の間をうねり曲って、小径をかけ下りた。そして私たちは、建物を取りまいている、灌木の所に出た時、ホームズは一同を引き止めた。
「奴等は家には入らない、そら左の方に足跡がある。これからずっと月桂樹の横の方に、――ああ、云わないこっちゃなかった、――」
彼がこう云う途端に、女の帛《きぬ》を裂くような悲叫《さけび》! 恐怖のために狂乱してしまった咽喉から絞り出た、血も吐くような女の悲叫《さけび》が、私たちの前方の籔のかげから聞こえて来た。それと共にその悲叫《さけび》は、最も高く絞り上げられたと思う中《うち》に、急に咽喉でも締められたのか、窒息するように止まってしまった。
「こっちです、こっちです! 奴等は玉ころがしの囲の中に居るんです」
籔を突進して突きぬけながら、この見知らぬ[#「見知らぬ」は底本では「見知らね」]男は叫んだ。
「おい卑怯な犬共め! さあ皆さん来て下さい、来て下さい。ああ遅れました。ああ遅かった、畜生め!」
私たちはヒョッコリと、大木に囲まれた中の、小さな芝生に出た。その芝生の向う側に、老樫樹のかげに、変な恰好の三人の者の姿を見止めた。その中の一人は、我々の依頼者の若い美しい女性で、口にはハンカチーフを巻きつけられ、全く気絶したように、正体もなく崩れ跼《うずく》まっていた。その向うには、残忍な、いかつい顔をした、赤髭の若い男が、ゲートルを巻いた脚を開いて突っ立ち、片方の肱は腰に曲げ、片方の手には、猟用の鞭を振り上げて、あたかも勝ちほこった馬鹿大将みたいに、意気軒昂としていた。それからその二人の間には、もう年配の、灰色の髭のある男が、スコッチ織の簡単な着物の上に、白い法衣を重ねて、今しも二人の結婚式がすんだばかりと云う様子をしていた。と云うのはその法衣の男は、私たちが現われた時ちょうど、祈祷書をポケットに入れて、その縁喜《えんぎ》でもない花婿の背中を、お芽出度《めでと》うとでも云ったように、ぽんとたたいたところであった。
「彼等は結婚したんだね」
私は喘ぎながら云った。
「来て下さい!」
我々の案内者は叫んだ。
「来て下さい!」
彼は芝生の上を横切って進んだ。ホームズ
前へ
次へ
全13ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三上 於菟吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング