――横痃かも知れねえ。弱り目に祟り目だ。悪い時ゃ何もかも悪いんだ。どうなったって構やしない。――
「その代りなあ、淋しい死に方はしやしないからな」
 私は、ほつれた行李の柳を引き千切って、運河へ放り込みながら、そう云った。
「おい! そんな自棄を云うもんじゃないよ。それよりも、おとなしく『合意雇止め』にしてやるから、ボーレンで一ヵ月も休んで、傷を癒してから後の事は、又俺でも世話をしてやるからな。お前見たいな風に出ちゃ損だよ。長いものには巻かれろってことがあるだろう。な、お前がいくら頑張ったって、船長も云ったように、一億円の船会社にゃ、勝てっこないんだから」
 セコンドメイトは、デッキの上と橋板の上とでは、レコードの両面見たいに、あべこべの事を云い始めた。詰らない事を云って、自分が疳癪玉の目標になっては、浮ばれないと思いついたのだ。
「セキメイツ。長いものが、長いものの癖をして、巻かねえんだよ。巻かれた奴あ、ギュッと巻き締められて、息の根を止められちまわあな。ボーイ長(水夫見習)を見な。奴あ泣寝入りと云いたいんだが、泣寝入り処じゃねえや、泣き死にに死んじゃったじゃねえか。ヘッ、毛も生えないような、雛っ子じゃあるめえし、未だ、おいら泣き死にはしねえよ。淋しい死に方なんざしたくねえや」
「フン。強い事あ、もっと早くか、もっと遅く言ったらどうだい。ま、足でも癒ってからな。第一、お前は船長に云う事を俺に云ったって、追つかない話だぜ」
「いいとも。船長だってお前だって、塵木葉なんだよ」
 私は、立ち上った。
 腰を下していた行李を担ぎ上げた。
 セコンドメイトは、私が行李を担ぎ上げたので、二足許り歩いた。
 私は、行李を運河の中へ、力一杯放り込んだ。
「ヘッ、俺等なあ、行李まで瘠せてやがらあ。ボシャッてやがらあ。ドブンとも云わねえや。お前だって俺だって此行李と違やしないんだぜ。セキメイツ!」
 行李は、ひょうきんな格好で、水を吸って沈むまでを、浮いてごみ屑と一緒に流れた。
「どうしたんだい。一体、お前気でも狂ったんじゃないのか」
 セコンドメイトは、ポシャッと云った水音で振りかえってそう云った。
「首なし死体を投り込んだんだよ。ありゃ腐った臓腑だけっか入ってねえんだ。お前だって、あの行李ん中へ入ってるんだよ。俺だって、自分の行李がいらなくなりゃ、雇止めを食わさあな、ヘッ。さようなら、御機嫌よう。首なしさん。だよ。ハッハッハハ」
 私は、歯を食いしばった。そして上瞼を上の方へまくし上げた。行李は私のようにフラフラしながら流れて行った。
 セコンドメイトは、私が、どんなに非常識な事をいっても「憤ってはならない」と心の中で決めているらしかった。
 ――若し、今、こいつに火をつけたら、ダイナマイト見たいに、爆発するに決ってる。俺が海事局へ行ってから、十分に思い知らしてやればいいんだ。それまでは、豆腐ん中に頭を突っ込んだ鰌見たいに、暴れられる丈け暴れさせとくんだ。――
 セコンドメイトが、油を塗った盆見たいに顔を赤く光らせたのから、私は、彼の考えを見てとった。
 私とても、言葉の上の皮肉や、自分の行李を放り込む腹癒せ位で、此事件の結末に満足や諦めを得ようとは思っていなかった。
 ――一生涯! 一生涯、俺は呪ってやる、たといどんなに此先の俺の生涯が惨めでも、又短かくても、俺は呪ってやる。やっつけてやる、俺だけの苦しみじゃない、何十、何百、何万、何億の苦しみだ。「たとえ、お前が裁判所に持ち出したって、こっちは一億円の資本を擁する大会社だ。それに、裁判はこちらの都合で、五年でも十年でも引っ張れる。その間、お前はどうして食う。裁判費用をどこから出す。ヘッヘッヘッ」と、吉武有と云う、鋳込まれたキャプスタン見たいな、あの船長奴、抜かしやがった。抜かしやがった。畜生!「どうして食う? どうして食う?」と奴はこきやがった。――
 私は橋板上へ、坐り込んでしまった。
 足と、頭の痛さとが、私を、私と同じ量の血にして橋板へ流したように、そこへ、べったりへたばらしてしまった。
 ――畜生!――
「セキメイツ! 人間の足が痛んでるんだ。分らねえか、此ぼけ茄子野郎! 人間の足が、地についてる処が疼いてるんだ。血を噴いてるんだ!」
 私は、頭を抱えながら呶鳴った。
 セコンドメイトは、私が頭を抱えて濡れた海苔見たいに、橋板にへばりついているのを見て、「いくらか心配になって」覗き込みに来るだろう。「どうしたんだ、オイ、しっかりしろよ。ほんとに歩けないのかい」と、私の顔を覗き込みに来るだろう。そして、私の頭に手をかけるだろう。オイ。
 ――手だけは、未だ俺は丈夫なんだからな。ポカッ! と、俺は、奴の鼻に行かなくちゃいけない。口ではいけない。眼ならいくらかいい。だが鼻が一等きき
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
葉山 嘉樹 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング