で勝手に決める問題だ。
 これは、ブルジョアジーと、プロレタリアートとの間にも通じる。
 プロレタリアは「鰹節」だ。とブルジョアジーは考えている。
 プロレタリアは、「俺達は人間」だ。「鰹節」じゃない。削って、出汁にして、食われて失くなってしまわねばならない、なんて法はない。と考える。
 国家と国家と戦争して勝負をつけるように、プロレタリアートとブルジョアジーも、戦って片をつける。
 その暁に、どちらが正しいかが分るんだ。
 だが、第三金時丸は、三千三十噸の胴中へ石炭を一杯詰め込んだ。
 彼女はマニラについた。
 室の中の蠅のように、船舶労働者は駆けずり廻って、荷役をした。
 彼女は、マニラの生産品を積んで、三池へ向って、帰航の途についた。
 水夫の一人が、出帆すると間もなく、ひどく苦しみ始めた。
 赤熱しない許りに焼けた、鉄デッキと、直ぐ側で熔鉱炉の蓋でも明けられたような、太陽の直射とに、「又当てられた」んだろうと、仲間の者は思った。
 水夫たちは、デッキのカンカンをやっていたのだった。
 丁度、デッキと同じ大きさの、熱した鉄瓶の尻と、空気ほどの広さの、赤熱した鉄板と、その間の、**
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