たちが、エンジンでは、ファイヤマンたちが、それぞれ拷問にかかっていた。
水夫室の病人は、時々眼を開いた。彼の眼は、全《まる》で外を見ることが能きなくなっていた。彼は、瞑っても、開けても、その眼で、糜れた臓腑を見た。云わば、彼の神経は彼の体の外側へ飛び出して、彼の眼を透して、彼の体の中を覗いているのだった。
彼は堪えられなかった。苦しみ! と云うようなものではなかった。「魂」が飛び出そうとしているんだ。
子供と一緒に自分の命を捨てる、難産のような苦しみであった。
――どこだ、ここは、――
彼は鈍く眼を瞠った。
どこだか、それを知りたくなった。
――どこで、俺は死にかけているんだ!――
彼は、最後の精力を眼に集めた。が、魂の窓は開かなかった。魂は丁度|睫毛《まつげ》のところまで出ていたのだ。
卵に神経があるのだったら、彼は茹でられている卵だった。
鍋の中で、ビチビチ撥ね疲れた鰌《どじょう》だった。
白くなった眼に何が見えるか!
――どこだ、ここは?――
何だって、コレラ病患者は、こんなことが知りたかったんだろう。
私は、同じ乗組の、同じ水夫としての、友達甲斐から、彼に、いや彼等に今、そのどこだったかを知らせなければならない。
それは、………………
だが、それがどこだったかは、もっと先になれば分るこった。
彼は、間もなく、床格子の上で、生きながら腐ってしまった。
裂かれた鰻のように、彼の心臓は未だピクピクしていた。そうしたがっていた。彼の肺臓もそうだった。けれども、地上に資本主義の毒が廻らぬ隈もないように、彼の心臓も、コレラ菌のために、弱らされていた。
数十万の人間が、怨みも、咎もないのに、戦場で殺し合っていたように、――
眼に立たないように、工場や、農村や、船や、等々で、なし崩しに消されて行く、一つの生贄《いけにえ》で、彼もあった。――
一人前の水夫になりかけていた、水夫見習は、もう夕飯の支度に取りかからねばならない時刻になった。
で、彼は水夫等と一緒にしていた「誇るべき仕事」から、見習の仕事に帰るために、夕飯の準備をしに、水夫室へ入った。
ギラギラする光の中から、地下室の監房のような船室へ、いきなり飛び込んだ彼は、習慣に信頼して、ズカズカと皿箱をとりに奥へ踏み込んだ。
皿箱は、床格子の上に造られた棚の中にあった。
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