たのを塗って歩いた。
 だが、何のために、デッキに手入れをするか?
 デッキに手入れをするか? よりも、第三金時丸に最も大切なことは、そのサイドを修理することではなかったか。錨を巻き上げる時、彼女の梅毒にかかった鼻は、いつでも穴があくではないか。その穴には、亜鉛化軟膏に似たセメントが填められる。
 だが、未だ重要なることはなかったか?
 それは、飲料水タンクを修理することだ。
 若し、彼女が、長い航海をしようとでも考えるなら、終いには、船員たちは塩水を飲まなければならない。
 何故かって、タンクと海水との間の、彼女のボットムは、動脈硬化症にかかった患者のように、海水が飲料水の部分に浸透して来るからだった。だから長い間には、タンクの水は些も減らない代りに、塩水を飲まねばならなくなるんだ。
 セイラーが、乗船する時には、厳密な体格検査がある。が、船が出帆する時には、何にもない。
 船のために、又はメーツの使い方のために、労働者たちが、病気になっても、その責任は船にはない。それは全部、「そんな体を持ち合せた労働者が、だらしがない」からだ。
 労働者たちは、その船を動かす蒸汽のようなものだ。片っ端から使い「捨て」られる。
 暗い、暑い、息詰る、臭い、ムズムズする、悪ガスと、黴菌に充ちた、水夫室だった。
 病人は、彼のベッドから転げ落ちた。
 彼は「酔っ払って」いた。
 彼の腹の中では、百パーセントのアルコールよりも、「ききめ」のある、コレラ菌が暴れ廻っていた。
 全速力の汽車が向う向いて走り去るように、彼はズンズン細くなった。
 ベッドから、食器棚から、凸凹した床から、そこら中を、のたうち廻った。その後には、蝸牛《かたつむり》が這いまわった後のように、彼の内臓から吐き出された、糊のような汚物が振り撒かれた。
 彼は、自分から動く火吹き達磨のように、のたうちまわった挙句、船首の三角形をした、倉庫へ降りる格子床(グレイチン)の上へ行きついた。そして静かになった。
 暗くて、暑くて、不潔な、水夫室は、彼が「静か」になったにも拘らず、何かが、眼に見えない何かが、滅茶苦茶に暴れまくっていた。
 第三金時丸は、貪慾な後家の金貸婆が不当に儲けたように、しこたま儲けて、その歩みを続けた。
 海は、どろどろした青い油のようだった。
 風は、地獄からも吹いて来なかった。
 デッキでは、セーラー
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