来たのには驚いた。
 天竜の川舟は、予定地に着けそくなつたら最後五丁も十丁も下流まで流れる位であつた。だから、陸からどのやうな権威を持つた人間が「止れ」と云つたところで、止まる訳には行かなかつた。
 その時などは、天竜の本流の岸に、トロッコの線を敷くためのハッパだつたので、十メートル前のトーチカ陣地から、機関銃が火を吐く、と云ふ形容だつて決して過ぎてはゐなかつた。
 私は気が狂つたやうに岸から叫んだ。
「向つ岸へ流してくれえ、ハッパ穴がそつちを向いとるぞう」
 と、無茶苦茶にベルを振りながら怒鳴つた。
 川舟の船頭も驚いた。舟を対岸の方へやるにしても、ハッパの破片は対岸深くまで飛んで行くのだつたから、完全に着弾距離外と云ふ訳には行かないのだつた。
 四人の川舟船夫たちは、底の浅い川舟の中で大騒ぎしながら、竿や櫂で川底の石をつつぱつたり、水を掻いたりして、対岸の絶壁の淵の方へ川舟をやらうと努力してゐた。が、天竜川の三大難所の一つだつたそこは、船夫たちの努力で、僅かに舟の頭を対岸に向けたまま、急流に押し流された。
 川舟がハッパを仕かけた辺から、二十間位も押し流された時、ハッパが鳴り始め、
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