の初めか、現《うつつ》の終わりかの幻を見ていると、フト彼の顔の辺りに何かを感じた。彼の鋭くとがった神経は針でも通されたように、彼を冷たい沼の水のような現実に立ち返らせた。が、彼は盗棒《どろぼう》に忍び込まれた娘のように、本能的に息を殺しただけであった。
やがて、電燈のスイッチがパチッと鳴ると同時に部屋が明るくなった。深谷が寝台から下りてスリッパを履いて、便所に行くらしく出て行った。
安岡の眼は冴《さ》えた。彼は、何を自分の顔の辺りに感じたかを考え始めた。
――人の息だった。体温だった。だが、この部屋には深谷と自分とだけしかいない。深谷がおれの寝息をうかがうわけがない。万一、深谷がうかがったにしたところで、もしそうなら電燈のついた時彼が寝台の上にいるはずがない。そしてあんなに大っぴらに、スリッパをバタバタさせて出てゆくはずがない。第一、なんのために深谷がおれの寝息なんぞうかがう必要があるのだ! おれは神経衰弱をやっているんだ。幻だ。夢だ。錯覚なんだ!――
こう思って彼は自分自身を納得させて、再び眠りに入ろうと努めた。
深谷はすぐに帰ってきて、電燈を消した。そしてベッドに入ると、
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