間もなくかすかな鼾《いびき》さえ立て始めた。
 安岡は自分の頭が変になっていることを感じて、眼をつむって、息を大きくして、頭の中で数を数え始めた。
 一、二、三、四、
 五十一、五十二、
 四百、四百一、四百二、
 千二百十、千二百十一、千二百十二、
 彼のやや沈静した頭が、千二百十二を数え終わった時、再び彼は顔の辺りに、人間の体温を感じた。が、彼はこんどはいきなり冷水をぶっかけられたように、ゾッとしはしたが千二百十三、千二百十四と、数珠《じゅず》をつまぐるように数え続けた。そして身動き一つ、睫毛《まつげ》一本動かさないで眠りを装《よそお》った。
 電燈がパッと、彼の瞼《まぶた》を明るく温めた。
 再び彼の体を戦慄《せんりつ》がかけ抜け、頭髪に痛さをさえ感じた。
 電燈がパッと消えた。
 深谷が静かにドアを開けて出て行った。
 ――奴《やつ》は恋人でもできたのだろうか?――
 安岡は考えた。けれども深谷は決して女のことなど考えたり、まして恋などするほど成熟しているようには見えなかった。むしろ彼は発育の不十分な、病身で内気で、たとい女のほうから言い寄られたにしても、嫌悪《けんお》の感を抱《いだ》くくらいな少年であった。器械体操では、金棒《かなぼう》に尻上《しりあ》がりもできないし、木馬はその半分のところまでも届かないほどの弱々しさであった。
 安岡は、次から次へと深谷のことについて考えたが、どうしても、彼が恋人を持っているとは考えられなかった。それなら……盗癖でもあるのだろうか?
 だが、深谷は級友中でも有数の資産家の息子であった。それにしても盗癖は違う。いくら不自由をしない家の子でも、盗癖ばかりは不可抗的なものだ。だが、盗癖ならばまず彼がその難をこうむるべき手近にいた。且《か》つ近来、学校中で盗難事件はさらになかった。
 下痢かなんかだろう。
 安岡はそう思って、眠りを求めたが眠りは深谷が連れて出でもしたように、その部屋の空気から消えてしまった。
 おそらく、二時間、あるいは三時間もたってから深谷は、すき間から忍び入る風のように、ドアを開けて帰ってきた。
 部屋へ入ると、深谷はワザと足音を高くして、電燈のスイッチをひねった。それから寝台へもぐり込む前に電燈を消した。
 安岡は研ぎ出された白刃《はくじん》のような神経で、深谷が何か正体をつかむことはできないが、凄惨《せ
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