坑夫の子
葉山嘉樹

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)掘鑿《くっさく》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]
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 発電所の掘鑿《くっさく》は進んだ。今はもう水面下五十尺に及んだ。
 三台のポムプは、昼夜間断なくモーターを焼く程働き続けていた。
 掘鑿の坑夫は、今や昼夜兼行であった。
 午前五時、午前九時、正午十二時、午後三時、午後六時には取入口から水路、発電所、堰堤と、各所から凄じい発破の轟音が起った。沢庵漬の重石程な岩石の破片が数町離れた農家の屋根を抜けて、囲炉裏へ飛び込んだ。
 農民は駐在所へ苦情を持ち込んだ。駐在所は会社の事務所に注意した。会社員は組員へ注意した。組員は名義人に注意した。名義人は下請に文句を言った。
 下請は世話役に文句を云った。世話役が坑夫に、
「もっと調子よくやれよ。八釜しくて仕様がないや」
「八釜しい奴あ、耳を塞いどけよ」
「そうじゃねえんだ。会社がうるせえんだよ」
「だったらな。会社の奴に、発破を抑えつける奴を寄越せとそう云ってくんな。おらにゃ、ダイナマイトを抑えつけるてな、芸当は打てねえんだからってな。篦棒奴《べらぼうめ》! 発破と度胸競べなんざ、真っ平だよ」
 こんな訳であって、――どんな訳があろうとも、発破を抑えつけるなんて訳に行くものではない――岩鼻火薬製造所製の桜印ダイナマイト、大ダイ六本も詰め込んだ発破は、素晴らしい威力を発揮した。濡れ蓆位被せたって、そんなものは問題じゃなかった。
 鶏冠山砲台を、土台ぐるみ、むくむくっとでんぐりがえす処の、爆破力を持ったダイナマイトの威力だから、大きくもあろうか?
 主として、冬は川が涸れる。川の水が涸れないと、川の中の発電所の仕事はひどくやり難い。いや、殆んど出来ない。一冬で出来上らないと、春、夏、秋を休んで、又その次の冬でないと仕事が出来ない。
 一冬で、巨大な穴、数万キロの発電所の掘鑿をやるのには、ダイナマイトも坑夫も多量に「消費」されねばならなかった。
 午後六時の上り発破の時であった。
 昼過ぎから猛烈な吹雪が襲って来たので、捲上の人夫や、捨場の人夫や、バラス取り、砂揚げの連中は「五分」で上ってしまった。
 坑夫だって人間である以上、早仕舞いにして上りたいのは、他の連中と些も違いはなかった。
 だが、掘鑿は急がれているのだ。期限までに仕上ると、会社から組には十万円、組から親方には三万円の賞与が出るのだ。仕上らないと罰金だ。
 何しろ、ポムプへ引いてある動力線の電柱が、草見たいに撓《たわ》む程、風が雪と混って吹いた。
 鼻と云わず口と云わず、出鱈目に雪が吹きつけた。
 ブルッ、と手で顔を撫でると、全で凍傷の薬でも塗ったように、マシン油がベタベタ顔にくっついた。そのマシン油たるや、充分に運転しているジャックハムマーの、蝶バルブや、外部の鉄錆を溶け込ませているのであったから、それは全く、雪と墨と程のよい対照を為した。
 印度人の小作りなのが揃って、唯灰色に荒れ狂うスクリーンの中で、鑿岩機を運転しているのであった。
 ジャックハムマーも、ライナーも、十台の飛行機が低空飛行をでも為ているように、素晴らしい勢で圧搾空気を、※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルブから吹き出した。
 コムプレッサーでは、ゲージは九十封度に昇っていた。だから、鑿岩機の能率は良かった。
「おい、早仕舞にしようじゃないか」
 秋山と云う、ライナーのハンドルを握ってるのが、小林に云った。
 それは、鑿岩機さえ運転していないで、吹雪さえなければ、対岸までも聞える程の大声であった。そして、その小林は、秋山と三尺も離れないで、鑿《のみ》の尖の太さを較べているのだった。
「駄目だよ。あのインダラ鍛冶屋は。見ろよ、三尺鑿よりゃ六尺鑿の方が、先細と来てやがら」
 小林は、鑿の事だと思って、そんな返答をした。
「チョッ!」
 秋山は舌打ちをした。
 ――奴あ、ハムマーを耳ん中に押し込んでやがるんだ、きっと、――そう思って、秋山は口を噤んだ。
 秋山は十年、小林は三十年、坑夫をやって来た。彼等は、車を廻す二十日鼠であった。
 彼等は根限り駆ける! すると車が早く廻る。ただそれ丈けであった。車から下りて、よく車の組立を見たり「何のために車を廻すか?」を考える暇がなかった。
 秋山も小林も極く穏かな人間であった。秋山は子供を六人拵えて、小林は三人拵えて、秋山は稍《やや》ずるく、小林は掘り出した切り株の如く「飛んでもねえ世の中」を渡っていた。
「何て、やけに吹きやがるんだ! 畜生」
 小林はそう云って、三尺鑿の先の欠けた奴を
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