抛りだした。
 秋山は運転を止めた。
「オイ、もう五尺は入っただろう」
 ガラガラッとハンドルを廻しながら、六尺鑿を抜き出した。
 小林は前へ廻って、鑿を外しながら、
「エッ」と云った。
「もう五尺は入っただろう」
「そうさなあ、入ったかも知れねえな」
「早仕舞にしようじゃないか」
「いいなあ、ハムマーの連中にそう云おうかなあ」
「だが、ダイの仕度は出来てるかい?」
「どうだか。見張りで聞いて来らあ」
「いや、構わねえ。お前、機械を片附けといて呉れよ。俺が仕度して来るから」
「そうかい」
 秋山は見張りへ、小林は鑿を担いで鍛冶小屋へ、それぞれ捲上の線に添うて昇って行った。何しろ、兎に角火に当らないとやり切れないのであった。
 ライナーの爆音が熄《や》むと、ハムマーの連中も運転を止めた。
 秋山は陸面から八十尺の深さに掘り下げた、彼等自身の掘鑿を這い上りながら、腰に痛みを覚えた。が、その痛みは大して彼に気を揉ませはしなかった。何故ならば、それはいつでもある事だったから。
 ダイの仕度は出来た。
 二十三本の発破が、岩盤の底に詰められて、蕨のように導火線が、雪の中から曲った肩を突き出していた。
 五人の坑夫、――秋山も小林も混って――は、各々口にバットを喞えて、見張からの合図を待っていた。
 何十年も、殆んど毎日のように、導火線に火を移す彼等であっても、その合図を待つ時には緊張しない訳には行かなかった。
「恐ろしいもんだ。俺なんざあ、三十年も銅や岩ばっかり噛って来たが、それでも歯が一本も欠けねえ」
「岩は、俺たちの米のおまんまだ」
 と云う程、慣れ切った仕事であったのに、それでもその一瞬間は、たとい夏であっても体のどこかに、寒さに似たものを感じるのであった。
 見張りで、ベルをガラン、ガランと振り始めた。吹雪の呻りとベルの音とが、妙に淋しくこんがらかって、流れて行った。
 ジゴマ帽から、目と口と丈け出した五人の怪物見たいな坑夫たちは、ベルが急調になって来て、一度中絶するのを、耳を澄まし、肩を張って待った。
 ベルが段々調子を上げ、全で余韻がなくなるほど絶頂に達すると、一時途絶えた。
 五人の坑夫たちは、尖ったり、凹んだりした岩角を、慌てないで、然し敏捷に導火線に火を移して歩いた。
 ブスッ! シュー、と導火線はバットの火を受けると、細い煙を上げながら燃えて行った。その匂は、坑夫たちには懐しいものであった。その煙は吹雪よりも迅くて、濃かった。
 各々が受持った五本又は七本の、導火線に点火し終ると、駈足で登山でもするように、二方の捲上の線路に添うて、駆け上った。
 必要な掘鑿は、長四方形に川岸に沿うて、水面下六十尺の深さに穴を明ける仕事であった。
 だから、捲上の線は余分な土や岩石を掘り取らないように、四十五度以上にも峻嶮に、川上と川下とから穴の中に辷り込んでいた。そして、それはトロッコの線路以上に広くは幅を取ってなかった。
 これ等の事は、設計の掘鑿通り以外に、決して会社が金を出しはしない、と云う事に起因していた。何故かなら会社で必要なのは、一分一厘違わず、スポッとその中へ発電所が嵌りさえすればいいのだったから。
 川下の方の捲上げ道を登れば、そのまま彼等は飯場まで帰る事が出来た。飯場には吹き曝しであるにしても風呂が湧いていた。風呂は晩酌と同じ程、彼等へ魅力を持っていた。
 川上の方は、掘鑿の岩石を捨てた高台になっていて、ただ捲上小屋があるに過ぎなかった。その小屋は蓆一枚だけで葺いてあった。だから、それはただ気休めである丈けではあったが、猶、坑夫たちはそこを避難所に当てねばならなかった。と云うのは、そっちに近い方に点火したものは、そっちに駈け登る方が早かったから。
 秋山は、ベルの中絶するのを待っている間中、十数年来、曾てない腰の痛みに悩まされていた。その時間は二分とはなかった、が彼には二時間にも思えた。
 秋山は平生から信じていた。導火線に火を移す時は、たといどんな病気でも、一時遠慮するものだ、と。それは足を打ち貫かれた兵卒が、歩ける訳がないのに歩くのと同じだと思い込んでいた。そして、それは全く、全然同じとは云えないにしても、全然違ってもいなかった。
 彼はベルの中絶した時に、導火線に完全に火を移し了えはした。
 然し、彼が、痛いのは腰だ、と思っていたのに、川上の捲上線に伝って登り始めるのと、カッキリ同時に、その腰の痛みが上の方に上って来るのを覚えた。
 彼は、駈けていた積りであったのに、後から登って行く小林に追いつかれた。
 然し、一体、馴れた坑夫は、そんなに逃げるように慌てて、駈けはしないものだ。慌てて石に躓く事がある事を知っているからだ。
 小林は、秋山よりも、もっと熟練工であった。だから、彼とても特別に急ぐような、見っとも
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