ない事はしない。だが、「少し悠くりしすぎる」と思わずにはいられなかった。
「おい。もう、半分燃えてるぞ!」
と、小林はすぐ後ろから、秋山へ喚いた。
が、秋山は、云わば、彼の痛い所を覗き込んででもいるように、その眼は道を見てはいなかった。
吹雪も、捲上道路も、何も彼は見ていなかった。何の事はない、脱線して斜になった機関車が、惰力で二十間も飛んだ、と云った風な歩きっ振りであった。
小林が彼と肩を並べようとする刹那、彼は押し潰した畳みコップのように、ペシャッとそこへ跼った。
小林はハッとした。
と、同時に川上の捲上の方を見た。が、そっちは吹雪に遮られて、何物も見えなかった。よし、見えたにしても、もう皆登り切って、風呂に急いでいる筈であった。
風が、唸った。雪が眼の中に吹き込んだ。
「オイ、駄目だ。どうした!」
秋山は動かなかった。
「オイ、もう直ぐだ。もうちょっとだ。我慢しろ!」
秋山は動かなかった。
咄嗟に小林は、秋山を引っ担いだ。
然し、一人でさえも登り難い道を、一人を負って駈ける事は、出来ない相談だった。
彼等が、川上の捲上小屋へ着く前に、第一発が鳴った。
「ハムマー穴のだ!」
小林は思った。音がパーンと鳴ったからだ。
ド、ドワーン!
「相鳴りだ。ライナーだな」
二人は、小屋の入口に達していた。
ドドーン、ドドーン、ドーン、バラバラ、ドワーン
小林の頭上に、丁度、彼自身の頭と同じ程の太さの、滅茶苦茶に角の多い尖った、岩片が墜ちて来た。
小林は、秋山を放り出して、頭の鉢を抱えた。
ドーン、バーン、ドドーンー
発破は機関銃のように続いて、又は速射砲のようにチョット間を置いて、鳴り続けた。
やがて、発破は鳴り止んだ。
海抜二千尺、山峡を流るる川は、吹雪の唸りと声を合せて、泡を噛んでいた。
物の音は、それ丈けであった。
掘鑿の中は、雪の皮膚を蹴破って大地がその黒い、岩の大腸を露出していた。その上を、悼むように、吹雪の色と和して、ダイナマイトの煙が去りやらず、匍いまわっていた。が、やがて、小林と秋山とが倒れている川上の、捲上小屋の方へ、風に送られて流れて行った。が、上に上ると、それは吹雪と一緒になって飛んで行った。
発破の後は、坑夫が一応見廻らねばならぬことになっていた。それは「腐る」(不発)のがあると、危険だからであった。
その見廻りは小林がいつでも引き受けていた。が、此場合では小林はその役目を果す事は出来なかった。
時間は、吹雪の夜そのもののように、冷酷に経った。余り帰りが遅くなるので、秋山の長屋でも、小林の長屋でも、チャンと一緒に食う筈になっている、待ち切れない夕食を愈々待ち切れなくなった、餓鬼たちが騒ぎ出した。
「そんなに云うんだったら、帳場に行ってチャンを連れて来い」
と女房たちが子供に云った。
小林と秋山の、どっちも十歳になる二人の男の児が、足袋跣足でかけ出した。
仕事の済んでしまった後の工事場は、麗らかな春の日でも淋しいものだ。それが暗い吹雪の夜は、況して荒涼たる景色であった。
二人の子供は、コムプレッサー、鍛冶場、変電所、見張り、修繕工場、などを見て歩いたが、その親たちは見当らなかった。
深い谷底のような、掘鑿に四つの小さい眼が注がれた。坑夫の子供ではあっても、その中へは入る事が許されなかったし、又、許されたとしても、そこがどんなに危険であるかは、子供の心にも浸み込んでいた。
「穴ん中にゃいないや、捲上小屋にいるかも知れないよ」
小林の子が、小さな心臓を何物とも知れぬ不安に締めつけられながら言った。
二つの小さな姿が、川岸伝いに、川上の捲上小屋に駆けて行くのが、吹雪の灰色の夕闇の中に、影絵のように見えた。
二人の子供たちは、今まで、方々の仕事場で、幾つも幾つも、惨死した屍体を見るのに馴れていた。物珍らしそうに見ていたので、殴り飛ばされたりした事もあった。
けれども、自分の父親が、そんな風にして死ぬものとは思わなかった。だのに、今、二人の十になる子供は、その父親の首へしがみついて、夕食の席へ連れ帰ろうとでもするように起そうとして努力していた。
が、秋山も小林も、決して、その逞しい足を動かし、その手を延ばそうとはしなかった。僅に、滅茶苦茶に涙を流しながら、引き起そうとする子供の力だけ、その冷たい首を上げるだけであった。
それでも、子供たちは、その小さな心臓がハチ切れるように、喘いでいるのにその屍体を起すことにかかっていた。若し、飯場の人たちが、親も子も帰らない事を気遣って、探しに来なかったならば、その親たちと同じ運命になるのであったほど、執拗に首を擡《もた》げる事を続けたであろう。
飯場の血気な労働者たちは、すっかり暗くなった吹雪の中で、屍体の
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