いかぶさった「苦役」と、「困窮」とであった。それをあやつっている資本制の糸であった。彼らは、自分たちのやっていたことと、藤原のやっていたこととがまるっ切り違ったことであって、そのくせ一つものを目あてにしていたのだと言うことをさとった。彼らはものにはやり方があると言うことを教わった。
 これまでは彼らは「一つ釜《かま》の飯を食う」仲間の関係であった。だが今では、それ以外に「労働者としての階級」に属する同志だという感情がつけ加えられた。それは彼らの間を妙に強く緊《くく》りつけ、親密にしたようだった。
 「女郎買い」の友だちから「牢獄《ろうごく》まで」もの同志の関係に押し進められた。
 それは、藤原が説き奨《すす》めたためであっただろうか、あるいは彼が「煽動《せんどう》」したものであっただろうか。だれか一人《ひとり》の力がそれほど多くの人を動かしただろうか、それは、もしそうであるとしたら、その多くの人は自分自身の意志に反してまでもそうなったのであろうか。それは暑い空気の中で人々があえぎ、寒い空気の中で人々がふるえるのと同じく、資本制経済の下《もと》に労働者が一様に抱《いだ》いているところの、反抗の小爆発ではなかったか。
 私たちは、多くの労働争議が、唯物史観に基づいて行なわれ、唯物史観に基づいて罰せられることを知っている。
 この小さな物語も、その一つの定められたる軌道を出《い》で得ないことは、私の筆を、渋らせ、進み難くする。だが、それは、(以下八字不明)、***な勝利は得られるものでないという事実の前に忍従して、私は筆を進める!
 この航海は、暴化《しけ》の前の静けさであり、暴化のあとの寂しさであった。
 それは、そんなことのあとには普通のことであった。そしてその普通のことは、労働者階級にとっては悲しいことであり、つらいことであった。憤慨すべきことであった。が、資本家にとっては、まだ食い足りないことであり、手ぬるいことであり、歯がゆいことであったが、やや「愉快」なことでもあった。だが、それは何だ? 私はまたあまり先走りすぎた。それは横浜についてからのことだ!
 今度の航海――横浜入港は、どの船員の心にも大きな期待を持たれていた。そして出帆も四日ごろまでは早くてもかかるのだった。正月の一日はだれでも休むのだ。そして、彼らは一様に、――ちょうど炎天の下を強行軍する軍隊の兵士が一様に水を欲しているように、――陸上における、陸上であれば木賃宿でもいい、生活に飢えていたのだった。それに、そこは正月ではないか。そのために彼らの足は地についていなかった!
 本船は、立派に化粧して入港するのだ! 船は二、三日|碇泊《ていはく》するんだ。いくらかの月給のほかに、手当があるはずだ! あそこに行こう、ここに行こう、おれは東京まで行って来よう! 種々《いろいろ》に彼らは考えていた。
 高い鉄の窓、あるいは高い赤い煉瓦《れんが》の塀《へい》を越えて、囚人が社会の空を望む時に、彼らはそこに実際以上の自由があり幸福があるように考えると、ドストエーフスキーは言ったが、それは全くうまいことをいったものだ、それと同じく船のりたちも、陸には実際以上の憧憬《どうけい》を持った。彼らは、それが陸上でさえあればどんな幸福でもありうると、彼らが陸にいて苦しさのあまりかつては、海へ逃げ出したことさえも忘れて思うのであった。あの時分と今とは変わってるだろうと、またあの時分はおれがまずかったんだと。彼らは、夜の入港のように、陸の醜悪な事実を一切|闇《やみ》のおおうにまかせて、その明るい、港の魅惑的な燈火にあこがれてしまうのであった。そのくせ彼らは、どの上陸の際でも陸上の生活が、彼らと非常に縁遠いものだということを感じさされた。それはちょうど、陸上のすべての事物や人が、彼を突っ放すのだと感ぜずにはいられないのだった。
 それは左ねじの電球が、右ねじのソケットにはまらないのと同じく、彼らを専門的にし、不具的にしたのだ。
 万寿丸は一晩港外に仮泊しないでも済むように順序よく、進んだ。尻屋《しりや》の燈台、金華山《きんかざん》の燈台、釜石《かまいし》沖、犬吠《いぬぼう》沖、勝浦《かつうら》沖、観音崎《かんのんざき》、浦賀《うらが》、と通って来た。そして今|本牧《ほんもく》沖を静かに左舷《さげん》にながめて進んだ。
 水夫たちはフォックスルにスタンバイしていた。雪もよいの風は鋭く頬《ほほ》を削った。その針はどんな防寒具でも通すのだから、水夫らの仕事着などは、蚊帳《かや》のようであった。彼らは、雨も雪も降らないのに、合羽《かっぱ》を着ていた、それは寒さをも防ぐし、軽くもあるのだ。そして飛沫《ひまつ》をも除《よ》けることができるのだ。
 十二月三十一日、午前九時――全く、うまく行ったものだ――万寿丸は横浜港内深くはいって、ほとんど神奈川《かながわ》沖近くへ投錨《とうびょう》した。
 本船が港内にはいるや、すぐに会社からのランチが、本船のまわりを水ぐものようにグルグル回りながらついて来た。
 それは十二月三十一日であった。大晦日《おおみそか》であった。それは、いかなる労働も休んでいるはずであった。けれども、その当時は戦争が、ヨーロッパにおいて行なわれていた。そのために、狂的な経済的好況が、日本のブルジョア階級を、踊り菌《たけ》でも、食った人のように、夢中に止め度もなく踊り狂わせた。そして、その有頂天な踊りと、そのための労働者へ対しての節欲とが、その大晦日に、仲仕をして石炭荷揚げをなさしめた。すなわち、万寿丸には、仲仕が、ランチにひかれた艀《はしけ》の中に満載されて送りつけられた。仲仕――権三といわれていた――は、特別の賃銀を支払われると言う約束で、明日《あす》のお屠蘇《とそ》の余分の一杯をあてにしてやって来たのだ。
 人足の艀《はしけ》は本船へつけられた。ロープを伝って猿《さる》のように駆け上がる。彼らは、ただ競争するのだ。そのために得るところは彼らを駆って過度労働に追い込み、資本家をしてより一層その財布を重くせしめるだけのことだ。だが、彼らはわれ先にと飛び上がる!
 万寿丸は荷役を初めそうに見えた。ウインチは仲仕らにかかってはむやみに手荒く取り扱われる。バルブ明けっ放しで、ハンドル一つのゴーヘーゴースターンだ。
 私はこんなふうに書いていたら、切りがないだろうということに気がついた。私はまだ船長と三上とが、室蘭で同じ女郎を買い当てて兄弟になったということも、書くつもりでいた。が、そんなことは別に不思議なことでも珍しいことでもない。やめてしまおう。
 ランチから、会社員が船長室へはいって行った。そこで、彼らはコーヒーを飲みながら、なにか話した。
 船長は、水夫らの「不都合なる行為」について厳罰を与えようと、室蘭においてすでに決心していた。で、彼は会社から来た社員に対して、簡単に「水夫たちがいかに不当な要求を、横着な態度でした」かを話した。だから、彼ら、水夫ら全部を下船させると同時に、引っ縛ってやる必要がある。「ついでに三上の伝馬《てんま》事件も告発するつもりである」ことを、彼は告げた。だから、「会社へ帰ったら、秘書課長へその由を伝えて置いてもらいたい」と言うのであった。
 一方チーフメーツは投錨《とうびょう》と共に、通い船に乗って水上署へおもむいた。そして、そこで室蘭であった一部始終を話した。――彼はボーイ長のことは話すのを忘れた――それはきっと藤原の煽動《せんどう》だ。ことに波田はメスを抜いてわれわれを脅迫した。彼らはきっと暴行に訴えてもその実行を迫るだろうから、本船へ出張の上保護を加えてもらいたいと願い出た。
 水上署のランチは、チーフメーツと共に、屈強なる巡査五、六名を載せて、威勢よく出動した。
 ランチは万寿丸のタラップについた。チーフメーツは警官たちをサロンに案内した。そこで、巡査諸君は、りんごと、菓子と、コーヒーとの「前で」しばらく待たなければならなかった。
 水夫たちは、ウインチに油をさしたり、種々な道具類を片づけたりしていた。そして彼らは、「その夜は、明日《あす》の朝まで、つまり正月の朝まで帰らないでいい上陸ができる」と考えて、愉快な気持ちになって働いていた。確かに、彼らは、当分、船に帰らないでもいい上陸によって、待ち受けられていたのだ。
 船長は、今は、前航海の、夜中におけるサンパンの中の船長でも、出船前の室蘭における彼でもなかった。彼は今は暴力的であり得た。最も露骨なタイラントだった。
 船長の命を受けたとものボーイは、おもてへ来た。そして、ボースンに言った。
 「ボースン、荷物を片づけて、下船の用意をして、ボースンと、藤原と、波田と、西沢と、小倉と、宇野と、サロンまで来いと、船長がいったよ。それからね、オイ」彼は今度は彼自身の部分の話に移った。「水上署の巡査が十五、六人サロンへ来て待ってるぜ、きっと波田があばれると思って連れて来たんだぜ。すこしあばれた方がいいんだ全く。皆にそういってくれよ、いいかい」彼は、ともへと帰って行った。
 そのことは、もう皆に特に通知するまでもなかった。とものボーイが来れば、何かの命令だということはわかるので、水夫たちはボースンの室の前で立って聞いていた。
 「まずかった!」藤原は感じた。「しかし、これほど徹底的だとは思わなかった。これじゃまるで船はカラッポだ! だが!」彼はじっと我慢した。彼にはもう彼が歩いて行く道筋がハッキリわかっていた。それは白くかわいた埃《ほこり》っぽい道である。沙漠《さばく》のように、人類を飢餓と渇とに追いやるところの道であった。
 波田もさとった。おれたちは「それでは行くんだな」と思った。「おれたちの行く道は、右は餓死だ、左は牢獄《ろうごく》だ」彼は吐き出すようにいった。

     四七

 彼らは各《おのおの》自分の運命を知った。そしてその行李《こうり》へありったけの彼らの持ち物を詰めた。彼らは、その持っている者は、布団《ふとん》までも行李に詰めた。彼らの行李はなお余裕を持っていた。彼らは、全く簡単に、その世界一周旅行にでも上りうるのであった。船乗りの生活は乗客として見た場合には、全く異なった観を呈する。それは、水火夫に至っては、乗客から見たのではまるでわからないのだ。ことに貨物船においては、乗客がないのだ。乗客がないということは世間|態《てい》がないということになるのだ。風呂《ふろ》さえないのだ。搾《しぼ》りたいだけ搾るのだ。
 彼らは、食って着るだけでなお不足であったので、従って、その最初船に乗る時に買った行李、その中へ詰まっていた種々の物が、だんだん減っては行ってもふえて行くなどと言うことはほとんどなかった。
 その空隙《すきま》の多い、中実の少ない行李を引っかついだ彼らは、あたかも移住民の一列のように続いて彼らの塒《ねぐら》からサロンへとおもむいた。
 彼らの去ることを知ったボーイ長の悲嘆ははなはだしかった。彼は、藤原と、波田との手にすがって、何か言いたそうにしていたが、ようやく出た言葉は、はげしい嗚咽《おえつ》のために聞きとることができなかった。だが、彼は嗚咽を語ったのだ! 彼は一切を奪われた。その最初であると同時に最後のものである。彼の売ることのできる唯一の労働力さえも、彼が労働力を売ったことが原因となって、奪い去られてしまったのだ。
 そして、彼を保護し、愛してくれた人々は、今警官のいるところへ、船長に下船の用意をして来いといわれて、出かけて行くのだ。その船長は何だ! 自分の生命にさえ一顧を与えない勇猛果断な男だ。ボーイ長は、自由を奪われて以来病的に発達した神経によって、そこには何かよからぬことが待ち受けてるに違いない、ことを直感したのであった。藤原さんや、波田さんたちはもう下船させられるんだ。そして、おれは動けもしないこの足で、あの冷酷なメーツたちの下にどうなるんだろう。忘れっ放されるんだ! 彼は泣いた。
 泣くということは、それは船では今までなかったことだ。血気な青年が壮年の労働者た
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