ては、気の毒そうな顔をした。波田は、ボースンを、月二割も利子をとるので、船長の模型ぐらいに評価していたのであったが、彼が「馘首《かくしゅ》」されたことを聞いて、急に同情者になってしまった。
 彼は、梅雨時《つゆどき》の夕方みたいな気持ちでいる、ボースンの室へはいった。そして、何かと手伝ったのであった。――彼が、今時々足にはめるゴム長靴の「ゲートル」はこの時に、もらった記念品であった――。
 ともからは、ボースンはまだ上がらないかと、しきりに急《せ》き立てて来た。
 「人間ほどわからんものはない。ああ人間ほどわからんものはない」と、ボースンはため息と共に言った。
 ボースンは、三上に送られて、自分も一本の櫓《ろ》を押して、今帰ったばかりの直江津の街《まち》へ向かって漕《こ》ぎ去った。
 ブリッジからは、船長とチーフメーツが望遠鏡でこれを見送った。伝馬はだんだん小さく、波山と波谷との上にのりつつ見えつ、沈みつして行った。
 ちょうど、その日も荷役がなかった。また別に仕事もなかったので、水夫らは、船首甲板にウォーニンを張って、その下で寝ころびながら、ボースンの伝馬を見送っていた。
 伝馬はどんどん進んで行った。そして、陸岸近くなって、もう一、二間と、いうくらいのところまで進んだ時に、後ろから追っかけられた、例の巻き浪《なみ》に、くるまれて、旋風が埃《ちり》でも渦巻くように、ゴロゴロッと横にころがしてしまった。もちろん、船長とチーフメーツはこの上もなくおもしろがり、手を打って喜んだ。
 岸には、石炭の人足たちが、もう少し凪《な》いだらば、本船へ仕事に出かけようとして沢山集まって、そのありさまを見ていた。
 人足の四、五[#「四、五」は筑摩版では「四五」]の者は直ちにおどり入った。そして、二人《ふたり》は――三上は櫓《ろ》と抱き合って、ゴロゴロころがった、彼は、立とうとして二、三度試みたが、彼の四倍も長い重い櫓を抱《かか》えていたので立てないで、その代わりに潮を飲んだ。ボースンは、そのとっさの場合にも、荷物を流すまいとして、手を章魚《たこ》のように八方に広げて、手にさわるものをつかもうとしながら、グルグルと巻きころがされた。そして、彼は手に舟板《ふないた》一枚と洋傘《こうもり》一本とをしっかりと握りしめていた。
 もし、人足が助けてくれなかったならば、伝馬はもちろん、流されているし、ボースンにしても、三上にしても、死に得た。彼らは足が立たなかったといっていた。そのはずであった。どんな大男でも、海の幅ほど丈《たけ》のあるものはないからだ。つまり彼らは、横になりながら足を突っぱろうと試みたのだ。
 二人は、櫓と、舟板と洋傘とをしっかり握りしめて、人足に助け上げられた。
 ボースンの荷物は、布団《ふとん》一枚と毛布一枚との包みが取りとめられた。そして、帆木綿《ほもめん》の袋の方は流れた。そして、一切は残るくまなく完全にぬれてしまった。それは、吸い取り紙が完全にぬれたように、ほとんど一切を役に立たなくしてしまった。
 それは、ブリッジから、望遠鏡で見る時に、流れて行く行李《こうり》まで見えたくらいであった。
 「これは痛快だ、こいつあおもしろい、ワッハッハハハハハハ、ワッハッハッハハハハハ、とてもたまらない[#「たまらない」は底本では「たまらい」と誤記]、ワッハッハハハハハ、あれを見たまえ! 舟板を虎《とら》の子みたいに抱いてるぞ、ワッハッハハハハハ」船長はころげ歩くばかりに笑い狂った。全く、それは、関係のない者から見ると、おかしい情景でもあったろうさ。チーフメーツも笑った。
 おもてのウォーニンの下でも、砂丘の上の粒のような人間たちが、動揺し始めたことを見た。何だろう? と伝馬の行方《ゆくえ》をさがしたが見えない。そのうちに、ブリッジで、船長とチーフメーツが腹を抱《かか》えて笑いころげているのを見た。そこへ、ブリッジから、非番になったコーターマスターがおりて来て、ボースンの伝馬が、巻き浪に巻き込まれて顛覆《てんぷく》したが、人命だけは人足に救われたことを知らせた。
 彼らは、ウォーニンの柱やレールに上《のぼ》ったり、つかまったりして、それをながめようとした。けれども、波にさえぎられて見えなかった。彼らは下に降りて、寝そべりながら、彼らについて話し合った。
 夕方になって、三上は、ふくれっ面《つら》をしてボースンと共に、また帰って来て、船長に、子細を告げた。ボースンは、船長に損害賠償を要求しようとしたが、テンで、デッキまでも上がらされなかった。すでに彼は、万寿丸のデッキさえも踏み得なくなっていた。そして、一切は浪にさらわれた!
 三上は、再びボースンを送って行って、夜になって帰った。
 ボースンは、横浜へ帰って、全く、くず鉄の山の中の一本のねじ釘《くぎ》のように、わずかに存在しているに止《とど》まった。彼は、帆布の縫い工になって、一日七十銭を取っているのであった。
 これが、船長の偉業であり、これが、ボースンが、「当然」受けねばならない報いであった!

     三六

 私がまるで酔っぱらいのように、千鳥足で歩き、一つのことをクドクドと、繰り返している。だが、これは、私が船のりであるからで、小説家でないからのことだ。全く、こんなことを、いや、「書く」ということは、とてもむずかしいものだ!
 ボーイ長は、もうこれですっかり傷も、それから来た病気も、「これでいよいよなおるんだ!」と思った。それは、今から室蘭の公立病院に行くからであった。
 そこに行くためには、どうしたって、海も見るだろうし、家も見るだろうし、木々も見えるだろうし、また、町の人々も、そのほかいろいろなものを見ることができるんだ! そうだ、彼は頭の上の、上段の寝箱の底板ばかりを一週間ばかりながめつづけていたのだった。
 こんな場合には、人は恐らく、どんなものでも、見るもの一切がなつかしいものだ、どうかすると、自分にけんかを吹っかける、酔っぱらいでさえも。それは放免された囚人の心と同じであった。
 彼を連れて行く、藤原と、波田とはしたくをしていた。したくをしながら、二十五歳のキビキビした青年、波田は悲痛な冗談をいっていた。
 「病院には、看護婦がいるぜ、色の白い、無邪気な、それほど別嬪《べっぴん》ではないが、すてきにかわいい……」
 「何だい、こいつすみに置けねえなあ、君は病院に行ったことがあるかい」波田にしては珍しい話なので、藤原が一本突っ込んだ。
 「その目がいいんだ! 目がね、汚《よご》れたどんな塵《ちり》も映さない、山中のまだ発見されない、処女湖のような澄み切った、親切な目なんだ! その女は、全く、どの患者にでも、兄妹《きょうだい》のように、わざとらしからぬ親切さでもって、接するんだ!」波田は、すでに十度以上は、便所|掃除《そうじ》で汚《よご》した仕事着に腕を通しながら、自分の恋人のことを語るように言った。
 「似合わねえな。波田君、糞《くそ》だらけの服と、澄み切ったひとみの処女とは、どう工面して見たって、縁がねえなあ」と、藤原は冷やかした。ボーイ長までも、ウッカリほほえんだ。水夫たちも笑った。
 「マ、待ちたまえ、先回りしちゃいけないよ。実際だね。僕だって、もう二十五になるんだからね。恋も、愛も十分に知ってるさ。その時に、もし、そんな処女に病院で出会ったらだね。この糞のにおいのする仕事着にでも近づいて来るだろうかってことを考えてるんさ、ハッハハハハハ」彼は笑った。その笑顔《えがお》の中には全く、処女湖に宿す、処女林のような純な表情があった。
 「だって、君は、自分でも言ってるじゃないか、『女難|除《よ》け』にはこの菜ッ葉が一等だって、そうだと、もちろんその娘だって例外じゃないぜ」小倉が言った。
 「悲観悲観、おれが女のことなどいい出したのが、よくねえんだな、おれの妹だって、こんなきたない労働者とは結婚したがらねえだろうからな。ハッハッハハハハハ」
 「それは全くだよ、波田君」藤原は感に堪《た》えぬようにして言った。
 さてしたく、――それは、その通すべきところへ、手、足を通して、はめるべきところへボタン、靴《くつ》、帽子とはめればいい――はでき上がった。全く波田は「女難|除《よ》けのお守り」であった。新米の乞食《こじき》などは、彼より立派な風《ふう》をしていた。彼の髪と来たらなれた乞食と区別がつかなかった。
 波田は、ボーイ長を背中に負《おぶ》った。水夫たちは、ボーイ長を彼の背中に、そうっと乗せるようにした。
 「済みません」と、ボーイ長はうれし涙に詰まったような鼻声で言った。
 三人は、四本の足で出発した。
 子供を負んぶすることでさえも、非常に肩が痛く、また重いものである。ボーイ長の場合にははなはだしく重かった。そして、困ったことには、その胸が痛く、なおより悪いことは、砕けた左の足が、ともすればダラリと下がって、雪の中をひきずるのであった。ボーイ長は、足を引き上げていようとして、全身の注意を左足に集めて、それを、ひきずらすまいとしたが、だめであった。ボーイ長の足の下がると同様に、波田の手までが下がるのだった。
 波田が、ボーイ長を揺すり上げるのは、二十歩から十歩になり、今では一歩ごとに揺すり上げるようになった。ボーイ長は、痛さと寒さとのために、顔色をなくしていたが、それでも辛抱した。
 彼らは、桟橋から、二十間ぐらいのところにある、[#「、」は底本では「。」と誤記]番小屋へはいった。そして、ボーイ長をベンチへおろした波田は、額の汗をぬぐった。
 「アア、ご苦労様」藤原は言った。ボーイ長は、心臓の鼓動がくたびれていて、額から冷汗が出て、ものを言う気に、どうしてもなれなかった。ただ、アーッと小さくため息をもらした。
 番小屋で休んでいた男女の人足たちは、彼らが取りめぐっていた、ストーブの一辺をあけて三人に与えた。そして、ボーイ長の負傷に同情と憐愍《れんびん》の言葉を贈った。
 「おれたちあからだが資本《もとで》だでなあ、大切にしなけれや」と言い合った。「かわいそうにまあ、まだ子供だによ」と言った。
 ボーイ長の左足は、銃剣の尖《さき》のように、白木綿《しろもめん》でまん丸くふくれ上がっていた。その尖《さき》がストーブの暖かみで、溶けた雪粉によって湿らされていた。
 ボーイ長は、そこで、変わった人々の慰めの言葉を聞いて、涙ぐまれてしようがなかった。
 彼の母ぐらいの年配の老いたる婦人も、あの劇労に従うのであろう、ショベルを杖《つえ》にストーブのそばへ立っていた。彼は、恥ずかしい気持ちを感じた。なぜそうであったかはわからないが、彼がけがをして病院へ負われてなど行くということが、恥ずかしい気がしたのであっただろう。そこにいた人たちは、そんな大きなショベルを動かすさえ困難であったように見える、年配の人が多いのであった。それは皆四十を越しているか、そうでなければまだ十五、六の子供かであった――そんなのが娘さえも交じって四、五人いた――働き盛りの者はどこにいるだろう? と、人々は思わずにはいられなかった。
 働き盛りの者は、夕張《ゆうばり》炭田の、地下数千尺で命をかけて、石炭を掘っているのだ! それに、彼らの息子《むすこ》や娘が、そっちへ出かせぎに行っているのだ。そして、帰って来れば、不具者か敗残の病躯《びょうく》か、多くは屍《かばね》になって帰って来るのだ。
 「おれも、片輪になって帰らねばならないだろうか」ボーイ長は、灰になりかけた石炭のような、味気ないさびしさに心を虫食われた。
 「サア、行こうか、今度は僕が負《おぶ》うからね」藤原が言った。
 人足の人たちも手伝ってくれて、ボーイ長は藤原に負われた。三人は、また、四本の足をもって、馬蹄形《ばていがた》の海岸の石崖《いしがけ》の端を、とぼとぼと拾い歩きして行った。そうして、藤原は丈《たけ》が高かったにしても、雪は二尺から積もっていた。踏まれた道は狭かった。ボーイ長は、道ばたの高い雪へ、足で合図の印《しるし》でもつけ
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