「きんつば」が食いたくなった。できれば、上等の蒸し菓子の中へ入れる餡《あん》だけが食べたくなった。彼は、甘いものを食べると、それは、血管を流れて行って、足の傷所《きず》で、皮になるように感ずるほど、それほど甘いものに飢えていた。それと一つは「上陸した以上は、煎餅《せんべい》一枚でも食わないと気が収まらん」と言う波田へ、その機会を与えたかった、と、休息したかったのと、最も彼を、この挙に出《い》でしめた重大な誘因は、一分でもおそく船へ帰りたかった、少しでも長く、陸の明るいところにいたかった。清い空気、ハッキリしたものの形、人間の生活、美しい一切のもの、それらと一刻も長く、一緒にいたかったのだ。
「そいつあいい思いつきだ」波田は、そのつもりで航路をそっちへとっていた。
東洋軒は、また、その日も、珍無類なお客を迎えた。
ボーイ長は、足がきかないので、日本間の方に三人は通された。
全く、波田がどのくらい甘いものに対して、真実の愛をささげているか、それは、私のよく表わし得ないところだ。彼は、ほんとの酒好きが、酒に目をなくす以上に、菓子には参っていた。それは「病的」だった。しかし、一体に、船
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