汽笛を鳴らして通った船は、浮かべる一大不夜城の壮観を見せて、三マイルも行き過ぎているであろう。
 このようにして、わが万寿丸は汽笛を鳴らして通過した。その汽笛をかすかに聞いて、今立ち上がろうとして、その凍えたからだに最後の努力ともがきとを試みている兄弟が、その船の中にいないだろうか、そのたよりない捨てられた犬の子のように哀れな形をした船の中に。
 鐘が鳴った。夕食である。水夫は水夫室に、火夫は火夫室に、各《おのおの》はいって行った。
 難破船は、薄やみの中に、暴《あ》れ狂う怒濤《どとう》の中に、伝奇小説の中で語られた悲しき運命の船のごとくに、とり残された。
 藤原は、船尾にランプをつり上げながら、残された船を見送って、堪《た》えられない寂しさと、憤《いか》りとに心を燃やした。
 「あの船には、少なくとも二十人の乗組員はあっただろう。それが養っている、同じ数くらいの家族もあっただろう。あの中で二十人は凍死したか、ボートで溺死《できし》したか、どちらにしてもあの船の乗組員が助かるということは考えられないことだ。二十人はとうとう、その家族を残して、妻子はその主人に残されて逝《い》ってしまわれ
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