もの。鳥だって船だってかないませんわね」と、いって、火鉢から鉄瓶をおろして、茶でも入れるだろう。そして、子供に隠して、その父から一枚の煎餅《せんべい》を出してもらって「坊やはいい子ね、サ、お菓子」といって出し抜けに子供にそれを与えるだろう。
だのに、おれたちは、凍えるような風と、メスのような浪《なみ》と、雪のように冷たい資本家や、氷のように冷酷な船長の下《もと》で、労働をしているんだ。おれは何だって船員になんぞなったんだろう。
ことに家持ちの下級船員はそうであった。彼らは、そうでなくてさえも、その家庭にたまらなくひきつけられているのに、暴化《しけ》のときには、その心持ちは長い刑を言い渡された囚人が、その家族のことを身も心もやせ砕けるように恋い慕い、気づかうのと異なるところがなかった。全く、今では、両|舷《げん》から、鯨油を流してさえいるくらいであったから。鯨油を流すことは、暴化《しけ》もはなはだしくならないとやらないことであった。
尻屋の燈台はセンチメンタルにまたたく。日は暮れかけて、闇《やみ》は、波と波との谷間から煙のように忍び出しては、白い波浪の飛沫《ひまつ》に、け飛ばされて
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