かった。それは、彼らを、この世の中で一番詰まらない役割に引っぱり込んでしまうからであった。というのは、いつでも彼らは最も詰まらない役割であるのだが、それをほんとうに彼らに手きびしくさとらせるからである。だれでも、自分が踏みつけられ、ばかにされることを喜ぶものはない。わがセーラーたちも、しんみりする時必ず、そうであることがわかるようにひとりでに考えるのであった。そして、船乗りの気質として、そんなに自分たちを「コミヤル」(余剰労働を搾取するという意が含まれている船乗り言葉)やつは容赦しないはずであるのだが、それができ得ないところに、彼らが、しんみりしたたびにしょげ込み、次いで自暴自棄になるという結果が生まれるのであった。
 彼らは、自分たちが人間であることを知っていた。そして、人間らしからぬ生活に追いまくられていることを知っていた。そして、彼らはどうすれば、これらの不都合な生活から人間らしい生活へはいれるかを、絶えず考え、その機会をうかがっていた。そして彼らはその考えをまとめることも、機会を捕えることもできないで「小資本を貯《た》めるための、きわめて短い時間だけ、この危険な仕事によって金もうけをしよう」とした最初の考えは、そのまま彼らを怒濤《どとう》の上で老年にしてしまい、磨滅《まめつ》した心棒にしてしまうのであった。
 その夕、ボーイ長のベッドのそばに集まった藤原、波田、小倉の三人は、皆ひどくしんみりしていた。

     七

 「おれたちは何だってこんなに泥棒|猫《ねこ》扱いに、いじめられるんだろうなあ」と、藤原がため息と一緒に吐き出すようにいった。一時の興奮から、夕方ボーイ長のことで来たチーフメートとの事を思い出して、きっとよからぬ予感に襲われたのだろう。
 「それゃ君、泥棒猫だからさ」と小倉がひょうきんに答えた。彼は人に落胆させまいとして、いつでも骨を折る気のいい正直者であった。
 「どうしてなんだろう」藤原はおとなしくきいた。
 「十匹[#「十匹」は底本では「十四」と誤記]の猫の中の二匹が泥棒猫であっても、その全体が泥棒猫と思われるんだからな。まして君、十匹[#「十匹」は底本では「十四」と誤記]のうち八匹がそうだったら、もちろん泥棒猫団だろうよ」
 小倉は答えた。
 「それじゃ、僕らは一体、生まれつき泥棒猫だったろうかね」
 「多くはそうだね。つまり僕らが泥棒猫であったにしても、それは僕らの知ったことじゃないことになるわけだ」
 「というと」と藤原は小倉にききかえした。
 「つまりさ。僕らは、その飼い主から見れば役に立たない泥棒猫なんだ。ね、いつ主人のもの[#「もの」に白丸傍点]をかっぱらうか油断もすきもありゃしない、とこう、見られているんだ。だから、主人の方じゃ僕らを泥棒猫扱いするんだ。扱いだけじゃないんだ、僕らを真物《ほんもの》の泥棒猫か、もっと適切にいえば、去勢した馬車馬と考えてるんだ。だから、主人、つまり、資本家からいえばさね、僕らは、彼らが僕らをしようと思うままにされていることが、唯一の方法なんだ。だから、船主が『水夫らは昼飯を食わない方が労働能率を上げるだろう』と思えば、僕らから昼飯をとり上げてしまうし、室蘭、横浜間は三日で航海すべきだから、糧食はカッキリ三日分でよろしい。難破したり、遅航したりすれば、それはやつらの例の怠惰から来たもので、おれの方の損害の方が大きいから、それ以上の積み込みは相ならぬ、ということになれば、それも正しいのだ」小倉はきわめてまじめに、説法でもするように静かにいった。
 「フーン、して見ると、僕らもその考えに適応しなければならないのかい」藤原は、小倉にきいた。
 「適応する必要はもちろんないさ。しかしただ適応する者のあることだけは事実なんだ。僕は資本家が自分自身の肉体の構成と、労働者の肉体構成とが、全然、異なるものであると考えているだろうと思う」
 「それで、そうなら僕らはどうだってんだね」と藤原はきいた。
 「それで、僕らは、僕らとしての『意識』を持つ必要が生じて来るんだ。資本家や、資本家の傀儡《かいらい》どもが、商品を濫造《らんぞう》するように、濫造した、出来合いの御用思想だけが、思想だと思うことをやめて、僕らにゃ僕らの考え方、行ない方があることをハッキリ知らなきゃならないんだ」小倉は頭の中で、辞書のページでも繰ってるようにしていった。
 「どうして、それを考え、どうしてそれを知ればいいんだ」藤原は問いをやめなかった。
 「それは、あまり困難な問題だ。僕はそれで悩んでるんだ」と小倉は答えた。
 「小倉君『人間は万物の霊長なり』という人間の造った言葉があるだろう。そこでね。僕は、昔から、一番苦しい、貧しい、不幸な階級の中で、またことに貧しい不幸なのろわれた人々でも、万物の霊長だっ
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