らは、いつ浪《なみ》にさらわれるか、ウインチでやられるか、どこで、やられるかわからない危険な労働をしているのに、ボーイ長のように、負傷はさせっ放し、死ねば死にっ放し、というような状態では、とても不安心で、落ちついていられないんだ。それで、僕は、公務疾病、傷害手当規約を本船に作って、それでもって、扶助すべきだと思う。それを諸君に、計りたいんだが。そして、ただ、そんなものを作ってもらいたいと、いうのだけでは役に立たないものを作るだろうから、こっちで二人《ふたり》、向こうで一人《ひとり》の委員を出して、その委員会によって、扶助規則を作るということにしたら、どうだろうと思うのだがね」藤原は言った。
 「そりゃ、ぜひ必要なこった」西沢が言った。
 「しかし、規則の点だが、委員会で、おもての意志が、はたして貫徹するだろうか、僕は、その点に疑いを持つよ」波田が言った。
 「そうだ、だから、こちらから二人、向こうから一人と、いう割合にしといたんだがね」藤原が答えた。
 「そりゃ、形ではそうなるけれども、実際に、その委員会は、ともの一人のために、おもての二人が支配されることに、なりはしないだろうか? もし、おもての二人が、支配されまいためには、僕は単に、その条件のみについても、一度ストライクが、起こされやしないかと思うんだよ。そうなれば、それは、二重の手間をとることになるからね」波田が言った。
 「そうさなあ、それじゃ、どうすればいいんだろう」小倉が言った。
 「なるほどね。こっちからの委員は、木偶《でく》の坊《ぼう》も同じだからね」藤原も賛成した。
 「で、結局、どういうふうにすればいいだろう」
 「僕の考えでは、こっちで作ってしまって、向こうには、ただ、それを承認するか、しないかの二つの回答のうち一つを、選ばせるだけでいいと思うんだがね。でないと、何しろ出帆前のとっさの間に、決する勝敗だから、出帆後に持ち越せば、こちらの負けになるに決まってるんだからなあ。だから一切の条件は、それを承諾するか、しないかどちらかにのみ、決定のできるように、ハッキリしたものにして置いて、そして出帆間ぎわの致命傷を突くということが、一等よかないかと思うんだがね」波田の考えはこれだった。
 「そう、その方法はいいと思うね、今室蘭には、一人も、休んでるものはないそうだ。二、三日前まで休んでいた者が、二人ばかりあったそうだが、仁威丸《じんいまる》に、便《びん》を借りて浜へ帰ったそうだ。室蘭なんぞじゃ雇い入れする船はないそうだ」小倉が言った。「だから、たとい四人でも五人でも、時機さえしっかりつかまえれば勝てると思うよ」
 「だから、その要求条件を、ここで作ろうじゃないか」西沢が言った。
 「それは、藤原君に草案が一任してあるから、それでもって作って行こうじゃないか」波田が言った。
 そこで、藤原の原案によって、新しい要求条件が、巻き重ねられたロープの上で、その夜十一時ごろまでかかって作り上げられた。
 それは、
[#ここから字下げ(「漢数字+読点」ではじまる文頭は2字下げ、それ以外は3字下げ)]
一、労働時間を八時間とすること。(現在十二時間以上無制限)
八時間以上は、必要なる場合労働するも一時間に付き、正規労働時間の倍額の賃銀を支給すること。
二、労働賃銀増額、――水火夫、舵手《だしゅ》、大工ら下級船員全体に対して、月支給額の二割を左の方法によって増給すること。
方法、下級(下級とは何だ!)船員全体の月収高の総計の二割を、下級船員の人頭数に平均に配分し、これを在来の賃銀に付加すること。
三、日曜日公休を励行すること。
四、公休日に出入港したる時は、その翌日を休日とすること。
五、作業命令は一人より発し、幾人ものメーツより同時に幾つも発せられぬようにすること。
六、横浜着港の際深夜、船長私用にてサンパンをもって、水夫を使用して、上陸することに対して、吾人《ごじん》これを拒絶すること。
七、公傷、公病に対しては、全治まで本船において、実費全部を負担し、月給をも支払うこと。
[#ここで字下げ終わり]
以  上[#「以  上」は36字下げ]

というようなものであった。それは、小倉が、舵手室へ帰って清書して、波田に手渡しする。交渉の順序は、明早朝、出帆準備にとりかかる前に、チーフメーツに手交して、われわれは全部の要求が承諾されるまでは船室から出ない――ということに決定した。
 要求条件は、労働時間と、労銀増額と、公傷病手当の三つは完全に利害をファヤマンの方と一致した。そして、その三つは、要求条項中重要なものであった。「だから、われわれは、この要求をファヤマンの方へ無断でやるというわけには行かないだろう」「もちろん」
 そこで、小倉がファヤマン(火夫)コロッパス(石炭運び)に報告
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