し、藤原がオイルマン(油差し)に、水夫たちはこういう要求条件を出して戦う、戦線を共同してもらえれば、この上もない事だが、そうでなかったら応援をしてもらいたいと、いうことを申し込むことになった。しかし、それは、われわれの要求条件がチーフメーツの方へ持って行かれると、同時でなければなるまい。なぜかならば、それは、セーラーの方で計画実行しなければならなかったほど、セーラーによっては、緊密な要求だが、火夫の方では、ある者にとっては、そうでないかもしれないし、より一層われわれがおそれるのは、スパイだ。スパイに対しては、われわれは絶対に、気をつけねばならない。それはペストのバクテリヤよりもこわいんだから。スパイはいつでもいそうなところにいないことは、柳の下の鰌《どじょう》と同じことだから、なおさら、われわれは細心に注意しなければなるまい。だから、少し手おくれのようには思われるかもしれないが、明日《あす》の朝にした方が、よくはないか、それはどうしても、明日の朝でなければならない――という事も決定した。
そして、今一つ重大なことが、決定された。それは、この要求提出を機会として、それが成功しようが失敗しようが、とにかく、要求を出したということにだけは、成功したわけなんだから、その記念として、われわれは海員組合――それがないならば作ろうし――へ加盟しようではないか。確か、それはごく最近生まれたように、おぼろげながら聞いた。それは、浜に帰った上で、早速《さっそく》調査して組合があれば、直ちに入会に決することになった。
公傷病手当の規約については、直ちに実行するのは、もちろんであるが、ボーイ長の手当は、その新しく決定された規約によってなすこと、を忘れないように交渉すること、これも、その通りに決定した。
彼らが、こうして、彼らの必要なる要求をするのに、何か、不都合ななすべからざる行為を企てでもしているように、彼ら、自身がまず、これを秘密にし、それが、ならない時は――という善後策をも考えねばならなかったことは、何を意味しているか。
それが、何を意味していようが、私の知ったことじゃない。ただ、私は、彼らが、人間としてあたり前のことを最小限度に要求する時に当たって、いつでも、その企ては、慎重に秘密にされる習慣を知っている。だれでも、地獄に落ちたくはないのだ。だれが、人間をこんなに、コソコソするように仕込んでしまったのか。
ちょうどこの時、船長は、そのマストがきれいになり、サイドが化粧し、うまい具合に満船したという報知を、チーフメーツから受け取って、彼女と、酒を飲んでいた。彼女は、「これが、この年のお別れで、来年は、また、すぐ会えるのね」と言ったふうな意味のことを言った。
「おれは、お前の美しいのが好きだけれど、そこがまた、おれを心配させもするんだよ」と、彼は杯をなめた。それは登別の温泉宿の一室で、燃えるような、緋《ひ》の布団《ふとん》のかかった炬燵《こたつ》の中であった。
ボーイ長は、その時、鉄のサイドが、同時に彼のベッドの一方である、その寝箱の中で、海のものとも山のものともつかない傷と、病《やまい》とのためにうなっていた。
水夫らは、彼らを、あまりしっかり締めすぎる鎖を、少しゆるくするように、要求する相談の最中であった。
三田子爵《みたししゃく》は、この汽船会社と、その炭坑との社長だった。彼はその時、何をしていたか、雲の上に隠れてしまって見えなかった。
四二
夜が明けた。風がヒューヒューうなっていた。灰色の空は、どこからともなく、山となく平原となく水平線となく、とけ合ってしまっていた。その間を粉のような灰色の雪が横っ飛びにケシ飛んでいた。だが、大した雪ではなかった。目も、鼻も、あけられないと言う、あの特徴的のやつではなかった。風は、大黒島を代われば必ず、前航海ほどには吹いているだろうとは想像された。
ハッチは、まだその口をあけたままであった。それは粟《あわ》おこしを食った子供の口の辺に似ていた。デッキじゅうは石炭だらけであった。その各片はデッキの鋳瘤《いこぶ》のように、デッキへ堅く凍りついていた。
ボースンはチーフメーツのところへ、その作業の順序を聞きに行った。すぐそのあとからストキ藤原が、清書された要求書を持って続いて行った。小倉は、起きると共に火夫室へ行った。
水夫らは、それはいつもの朝とは何だか大変違った朝のような気がした。全く実際違った朝ではなかっただろうか。
ボースンは、チーフメーツの室にはいった。そして彼はあとを締めようとすると、もうストキがすっかりそのからだを入れていた。そして扉《ドア》はあとからストキによって締められた。
「お早うございます」とボースンはいった。
「うんすぐ……」チーフメートが
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