いかぶさった「苦役」と、「困窮」とであった。それをあやつっている資本制の糸であった。彼らは、自分たちのやっていたことと、藤原のやっていたこととがまるっ切り違ったことであって、そのくせ一つものを目あてにしていたのだと言うことをさとった。彼らはものにはやり方があると言うことを教わった。
 これまでは彼らは「一つ釜《かま》の飯を食う」仲間の関係であった。だが今では、それ以外に「労働者としての階級」に属する同志だという感情がつけ加えられた。それは彼らの間を妙に強く緊《くく》りつけ、親密にしたようだった。
 「女郎買い」の友だちから「牢獄《ろうごく》まで」もの同志の関係に押し進められた。
 それは、藤原が説き奨《すす》めたためであっただろうか、あるいは彼が「煽動《せんどう》」したものであっただろうか。だれか一人《ひとり》の力がそれほど多くの人を動かしただろうか、それは、もしそうであるとしたら、その多くの人は自分自身の意志に反してまでもそうなったのであろうか。それは暑い空気の中で人々があえぎ、寒い空気の中で人々がふるえるのと同じく、資本制経済の下《もと》に労働者が一様に抱《いだ》いているところの、反抗の小爆発ではなかったか。
 私たちは、多くの労働争議が、唯物史観に基づいて行なわれ、唯物史観に基づいて罰せられることを知っている。
 この小さな物語も、その一つの定められたる軌道を出《い》で得ないことは、私の筆を、渋らせ、進み難くする。だが、それは、(以下八字不明)、***な勝利は得られるものでないという事実の前に忍従して、私は筆を進める!
 この航海は、暴化《しけ》の前の静けさであり、暴化のあとの寂しさであった。
 それは、そんなことのあとには普通のことであった。そしてその普通のことは、労働者階級にとっては悲しいことであり、つらいことであった。憤慨すべきことであった。が、資本家にとっては、まだ食い足りないことであり、手ぬるいことであり、歯がゆいことであったが、やや「愉快」なことでもあった。だが、それは何だ? 私はまたあまり先走りすぎた。それは横浜についてからのことだ!
 今度の航海――横浜入港は、どの船員の心にも大きな期待を持たれていた。そして出帆も四日ごろまでは早くてもかかるのだった。正月の一日はだれでも休むのだ。そして、彼らは一様に、――ちょうど炎天の下を強行軍する軍隊の兵士
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