彼らは、何かの予感を感じていたのであった。
火夫室の前では、彼らは、万歳を三唱してセーラーを迎えた。
その日の出帆は、それでも、水夫らにとっては、「凱旋《がいせん》将軍の故国への船出」の感があった。
四六
その航海は異様な航海だった。水夫たちは人間として、取り扱われ初めたように見えた。命令を発するところのメーツらは、彼らが単に、作業の分担的任務から、行動するように命令した。そして、その内容も整頓《せいとん》され、そのために同一の効果に対して、水夫たちは以前の三分の二の労働と時間とで済むくらいになった。
船長にしろ、ほかのどのメーツにしろ、今では「ゴロツキ」の下級船員たちが、ただもう「みじめに働いている」と言うことだけに、その興味を持たなくなったように見えた。下級船員たちが、「人間」らしくあるということが、今では、彼らの権威を傷つけるという、その妄想《もうそう》から彼らは、解放されたように見えた。
どことなしに、いや、それどころではない、はっきりと彼らは、あまりに現金すぎるほどに、水夫たちはおろか火夫たちにまでも遠慮していた。
それは、内実を知らない人々から見ると、平和であった。そして万事が控え目であった。「謙譲なるメーツらよ!」と知らない人は、それが労働者であっても、ほめたであろうほど、静かであった。従って、船員たちも「ゴロツキ」ではなかった。
彼らも、彼らが人間らしく振る舞い得、また、そうすることを、禁じられさえしなければ、彼らは立派に――人間らしく振る舞った。
水夫らは、自分らに酬《むく》いられる、労銀は何であるか? ある者は知り、多くは知らなかった。ただ彼らは、彼らの生活がはなはだしく脅かされる時だけ、仲間《ちゅうげん》のような彼らの忠実さから、彼らは、自身に立ちかえるのであった。そして、彼らは、それに成功することもあったが、多く失敗した。ことに決定的な立場から言えば、彼らは、まだ、要求してもいないのに、たたきつぶされたのであった。彼らは、三上のように、あるいは、波田のように、あるいは小倉のように、西沢のように、自分をだんだん強く羽がいじめにする、労働条件から免れようとして、個人的に行動した。
彼らの行動はまるで相反するようにも見えた。そのことについて彼ら同志の間にけんかさえも起こった。だがそうしたのは、彼らの上に重っ苦しくおお
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