ないのであった。
彼の村は、山陽道と山陰道を分ける中国の脊梁《せきりょう》山脈の北側に、熊笹《くまざさ》を背に、岩に腰をおろしてもたれかかっているような、人煙まれな険阻《けんそ》な寒村であった。その村の者は森林の産物をその生活資料としていた。ところがそれらの森林は国有林になってしまった。そこで、その村の者は、監獄へ行くか、餓えるかという二つの道のどちらかを取るようにしいられた。小倉の生まれた村の小径《こみち》とも、谷川ともわからない山径《やまみち》は、監獄の方へ続いていた。わずか三軒の家をもって成り立っているこの村は、その各家から戸主を監獄へ奪われた。村から最年少は六つ、最年長十六の間の、十三人の男児は滅亡に瀕《ひん》している故郷を救うために、社《やしろ》のように神寂《かみさ》びたその村をあとに、世の中を目がけて飛び出したのである。そして、村に金を送る代わりに、村から労働力を搾《しぼ》られに来たという形なのであった。
でもし、彼が、これに参与して、この企てが失敗するならば、彼は、今まで三年間、全力を傾倒してそれに向かって進んだ高等海員どころでなく、下級船員からさえもその職業的生命を奪われることになるのであった。
彼は三上とサンパンを押した時にも、同様な感じを味わった。深い憂悶《ゆうもん》と、人生に対する疑問とが彼を蜘蛛《くも》の網のように包みとり巻いた。
「それは闘争になるだろう。僕らは、何の武器も持たないから、ただ固まって、何もしないだけの方法をとるだろう。そうすると、船では雇い止めして、乗船停止を食わすだろう。事によれば桟橋から道は監獄へ続いてるかもしれないよ」藤原は答えた。
「それは僕らの生活の破滅にはならないだろうか、いや、僕らだけではなくて、僕らの背後にある老人や幼児たちの運命を破滅に導くだろう。僕は僕の故郷のことを考えると、どんな忍耐でもやりたいと思うよ」小倉は彼の哀れな気の毒な心の中に、涙と共に浮かぶ考えを述べるのであった。
「そうだ! 君は君の忍びうる最大の『忍耐』をなし得た時に、君は君のなしうる最大の力で同胞を殺戮《さつりく》し、それからパンを奪ったという結果を見ることになるんだ」藤原はほとんど冷酷そのもののような顔つきになっていた。そしてその目だけは火のように燃えて、光っているのであった。
「そうは思われないよ。僕が今職業を失えば、
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