運動会の風景
葉山嘉樹
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(例)増産競技であった[#「あった」はママ]。
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)おそる/\
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上
あくまでも蒼く晴れ上つた空であり、渓谷には微風さへもない。
表で遊んでゐる子等が「春が来た、春が来た」と唄ひ出した。十一月三日の明治節の国民運動会の日である。
木曾川は底まで澄みきつて、両岸の紅葉を映してゐる。
私が此夏、鮎釣りに泳ぎ渡つた際、大きな蟻に臍を食ひつかれて愕いた、竜宮岩も紅葉の間に浮んで、静もりかへつてゐる。
竜宮岩といふのは、木曾川の中流に、島を為して残つてゐる一大岩塊で、高山の様子がある。そこへ登るには、ロッククライミング以外に手がない。その島の頂上に弁天様が祭つてある。その祠の前や、岩の間などに「土」のあるのを発見して、私は驚いた。
万古の流れに洗はれて、土を守り、樹木を育ててゐる島である。そんなことに驚いてゐる私の臍に蟻が食ひついたのである。大きな真つ黒い山蟻といふ奴である。臍といふものは人間の重心であるから、この蟻はその運搬の技法からいへば、完全に近かつた。だが、悲しいかな、私の方が蟻より大きかつたものだから、蟻の足は岩に届かないで、私の臍の近くでつゝぱつてゐるだけだつた。おそろしく鋭い痛みだつた。ほんとに私を巣の中に運び込まうとする気魄が感じられた。見ると外にも大小の蟻がゐるのである。
これは堪まらぬ、と私は早々に蟻を払ひ落して、岩を伝はつて逃げ下つた。
「人間に食ひついた最初の蟻だらう、それは。その島では」と、折から忙しい中を講演に来てくれたK君が、笑ひながら、臍の話を批評した。
夏中釣りをしたため、今年は私の健康はいゝ。その後もずつと運動を続けてゐるので。
今日は稲扱きの小閑を盗んで村民運動会である。村中が、どんなに前々からこの日を喜び待つてゐることか。まるで大人も子供のやうにである。といへば、私たちの村では、大人も子供のやうに淳朴である。
競技は各区が単位になつて十数区で行はれるが、その中に「三代リレー」といふのがある。これはお爺さん、お父さん、息子、といふリレーである。この選手にこと欠かないから驚く。お爺さんの場合歩が悪くても、息子の場合
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