るんだろう。でないと出来上った六神丸の効《き》き目《め》が尠《すくな》いだろうから、だが、――私はその階段を昇りながら考えつづけた――起死回生の霊薬なる六神丸が、その製造の当初に於て、その存在の最大にして且《か》つ、唯一の理由なる生命の回復、或は持続を、平然と裏切って、却《かえ》って之を殺戮《さつりく》することによってのみ成り立ち得る。とするならば、「六神丸それ自体は一体何に似てるんだ」そして「何のためにそれが必要なんだ」それは恰《あたか》も今の社会組織そっくりじゃないか。ブルジョアの生きるために、プロレタリアの生命の奪われることが必要なのとすっかり同じじゃないか。
だが、私たちは舞台へ登場した。
二
そこは妙な部屋であった。鰮《いわし》の罐詰《かんづめ》の内部のような感じのする部屋であった。低い天井と床板と、四方の壁とより外には何にも無いようなガランとした、湿っぽくて、黴臭《かびくさ》い部屋であった。室の真中からたった一つの電燈が、落葉が蜘蛛《くも》の網にでもひっかかったようにボンヤリ下って、灯《とも》っていた。リノリュームが膏薬《こうやく》のように床板の上へ所々へ貼《は》りついていた。テーブルも椅子《いす》もなかった。恐ろしく蒸し暑くて体中が悪い腫物《しゅもつ》ででもあるかのように、ジクジクと汗が滲《し》み出したが、何となくどこか寒いような気持があった。それに黴《かび》の臭いの外に、胸の悪くなる特殊の臭気が、間歇《かんけつ》的に鼻を衝《つ》いた。その臭気には靄《もや》のように影があるように思われた。
畳にしたら百枚も敷けるだろう室は、五燭らしいランプの光では、監房の中よりも暗かった。私は入口に佇《たたず》んでいたが、やがて眼が闇《やみ》に馴《な》れて来た。何にもないようにおもっていた室《へや》の一隅に、何かの一固《ひとかたま》りがあった。それが、ビール箱の蓋《ふた》か何かに支えられて、立っているように見えた。その蓋から一方へ向けてそれで蔽《おお》い切れない部分が二三尺はみ出しているようであった。だが、どうもハッキリ分らなかった。何しろ可成《かな》り距離はあるんだし、暗くはあるし、けれども私は体中の神経を目に集めて、その一固りを見詰めた。
私は、ブルブル震《ふる》え始めた。迚《とて》も立っていられなくなった。私は後ろの壁に凭《もた》れてしまった。そして坐りたくてならないのを強《し》いて、ガタガタ震える足で突っ張った。眼が益々闇に馴れて来たので、蔽《おお》いからはみ出しているのが、むき出しの人間の下半身だと云うことが分ったんだ。そしてそれは六神丸の原料を控除した不用な部分なんだ!
私は、そこで自暴自棄な力が湧《わ》いて来た。私を連れて来た男をやっつける義務を感じて来た。それが義務であるより以上に必要止むべからざることになって来た。私は上着のポケットの中で、ソーッとシーナイフを握って、傍に突っ立ってるならず者の様子を窺《うかが》った。奴《やつ》は矢っ張り私を見て居たが突然口を切った。
「あそこへ行って見な。そしてお前の好きなようにしたがいいや、俺はな、ここらで見張っているからな」このならず者はこう云い捨てて、階段を下りて行った。
私はひどく酔っ払ったような気持だった。私の心臓は私よりも慌《あわ》てていた。ひどく殴《なぐ》りつけられた後のように、頭や、手足の関節が痛かった。
私はそろそろ近づいた。一歩々々臭気が甚《はなはだ》しく鼻を打った。矢っ張りそれは死体だった。そして極《きわ》めて微《かす》かに吐息が聞えるように思われた。だが、そんな馬鹿なこたあない。死体が息を吐くなんて――だがどうも息らしかった。フー、フーと極めて微かに、私は幾度も耳のせいか、神経のせいにして見たが、「死骸《しがい》が溜息をついてる」とその通りの言葉で私は感じたものだ。と同時に腹ん中の一切の道具が咽喉《のど》へ向って逆流するような感じに捕われた。然し、
然し今はもう総《すべ》てが目の前にあるのだ。
そこには全く残酷《ざんこく》な画が描かれてあった。
ビール箱の蓋の蔭には、二十二三位の若い婦人が、全身を全裸のまま仰向《あおむ》きに横たわっていた。彼女は腐った一枚の畳の上にいた。そして吐息は彼女の肩から各々が最後の一滴であるように、搾《しぼ》り出されるのであった。
彼女の肩の辺から、枕の方へかけて、未《ま》だ彼女がいくらか、物を食べられる時に嘔吐《おうと》したらしい汚物が、黒い血痕《けっこん》と共にグチャグチャに散ばっていた。髪毛がそれで固められていた。それに彼女の(十二字不明)がねばりついていた。そして、頭部の方からは酸敗《さんぱい》した悪臭を放っていたし、肢部からは、癌腫《がんしゅ》の持つ特有の悪臭が放散されていた。こんな異
前へ
次へ
全8ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
葉山 嘉樹 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング