は余り出し抜けなので、その男の顔を穴のあく程見つめていた。その男は小さな、蛞蝓《なめくじ》のような顔をしていた。私はその男が何を私にしようとしているのか分らなかった。どう見たってそいつは女じゃないんだから。
「何だい」と私は急に怒鳴った。すると、私の声と同時に、給仕でも飛んで出て来るように、二人の男が飛んで出て来て私の両手を確《しっか》りと掴《つか》んだ。「相手は三人だな」と、何と云うことなしに私は考えた。――こいつあ少々面倒だわい。どいつから先に蹴っ飛ばすか、うまく立ち廻らんと、この勝負は俺の負けになるぞ、作戦計画を立ってからやれ、いいか民平!――私は据《す》えられたように立って考えていた。
「オイ、若えの、お前は若え者がするだけの楽しみを、二|分《ぶ》で買う気はねえかい」
 蛞蝓《なめくじ》は一足下りながら、そう云った。
「一体何だってんだ、お前たちは。第一何が何だかさっぱり話が分らねえじゃねえか、人に話をもちかける時にゃ、相手が返事の出来るような物の言い方をするもんだ。喧嘩《けんか》なら喧嘩、泥坊なら泥坊とな」
「そりゃ分らねえ、分らねえ筈《はず》だ、未《ま》だ事が持ち上らねえからな、だが二分は持ってるだろうな」
 私はポケットからありったけの金を攫《つか》み出して見せた。
 もうこれ以上飲めないと思って、バーを切り上げて来たんだから、銀銅貨取り混ぜて七八十銭もあっただろう。
「うん、余る位だ。ホラ電車賃だ」
 そこで私は、十銭銀貨一つだけ残して、すっかり捲き上げられた。
「どうだい、行くかい」蛞蝓《なめくじ》は訊《き》いた。
「見料《けんりょう》を払ったじゃねえか」と私は答えた。私の右腕を掴《つか》んでた男が、「こっちだ」と云いながら先へ立った。
 私は十分警戒した。こいつ等三人で、五十銭やそこらの見料で一体何を私に見せようとするんだろう。然も奴等は前払で取っているんだ、若《も》し私がお芽出度《めでた》く、ほんとに何かが見られるなどと思うんなら、目と目とから火花を見るかも知れない。私は蛞蝓《なめくじ》に会う前から、私の知らない間から、――こいつ等は俺を附けて来たんじゃないかな――
 だが、私は、用心するしないに拘《かかわ》らず、当然、支払っただけの金額に値するだけのものは見得ることになった。私の目から火も出なかった。二人は南京街の方へと入って行った。日本が外国と貿易を始めると直ぐ建てられたらしい、古い煉瓦建《れんがだて》の家が並んでいた。ホンコンやカルカッタ辺の支邦人街と同じ空気が此処にも溢《あふ》れていた。一体に、それは住居《すまい》だか倉庫だか分らないような建て方であった。二人は幾つかの角《かど》を曲った挙句《あげく》、十字路から一軒置いて――この一軒も人が住んでるんだか住んでいないんだか分らない家――の隣へ入った。方角や歩数等から考えると、私が、汚れた孔雀《くじゃく》のような恰好《かっこう》で散歩していた、先刻《さっき》の海岸通りの裏|辺《あた》りに当るように思えた。
 私たちの入った門は半分|丈《だ》けは錆《さ》びついてしまって、半分だけが、丁度《ちょうど》一人だけ通れるように開いていた。門を入るとすぐそこには塵埃《ごみ》が山のように積んであった。門の外から持ち込んだものだか、門内のどこからか持って来たものだか分らなかった。塵の下には、塵箱が壊れたまま、へしゃげて置かれてあった。が上の方は裸の埃《ほこり》であった。それに私は門を入る途端にフト感じたんだが、この門には、この門がその家の門であると云う、大切な相手の家がなかった。塵の積んである二坪ばかりの空地から、三本の坑道のような路地が走っていた。
 一本は真正面に、今一本は真左へ、どちらも表通りと裏通りとの関係の、裏路の役目を勤めているのであったが、今一つの道は、真右へ五間ばかり走って、それから四十五度の角度で、どこの表通りにも関《かかわ》りのない、金庫のような感じのする建物へ、こっそりと壁にくっついた蝙蝠《こうもり》のように、斜《ななめ》に密着していた。これが昼間見たのだったら何の不思議もなくて倉庫につけられた非常階段だと思えるだろうし、又それほどにまで気を止めないんだろうが、何しろ、私は胸へピッタリ、メスの腹でも当てられたような戦慄《せんりつ》を感じた。
 私は予感があった。この歪《ゆが》んだ階段を昇ると、倉庫の中へ入る。入ったが最後どうしても出られないような装置になっていて、そして、そこは、支那を本場とする六神丸の製造工場になっている。てっきり私は六神丸の原料としてそこで生《い》き胆《ぎも》を取られるんだ。
 私はどこからか、その建物へ動力線が引き込まれてはいないかと、上を眺めた。多分死なない程度の電流をかけて置いて、ピクピクしてる生《い》き胆《ぎも》を取
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