何とでもいへる。
今まで、我々と分れて、えらさうな口を利いて、消えて無くなつた者が、どの位あるかを考へた方がよからう。そこで、その深い、底の方を流れてゐるものは、「何」であるか、といふ事を、私は探求しにかゝつた。そして、それが、ひどく文字には現し難い気持ちではあるが、「捨て身」なもの、であるといふことが分つた。
「Sは、捨て身でやつてゐないだらうか?」「いや、やつてる!」
と私は考へた。
そこで、私は、この「捨て身」で階級闘争の中に入つてゐる、同志と別れることは、出来ないと考へた。
さういふ訳で、いくらか、余裕を持つて、やらうといふ者と私も別れてしまつた。
*
それから、私たちは、残つた連中にいはせると、「組織もヘチマも無い居心地のいゝ『クラブ』に尻を落ちつけたのである」
私たちの「挨拶状の本質は、隅から隅までのルンペン的、芸術至上主義的偏向をバクロした」
よろしい。いくらでも、張りよい、小型のビラを、僕等の背中に張りつけるがよい。
今東光を、藤森成吉を、片岡鉄兵を、中条百合子を、信用しようとも、しもしなかつた私たちである。
私自身についていへば、諸君のいふ
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