返すために武太郎さんの後を追っていったというのは、宝沢なんですね……」
伊東は酒癖の悪い武太郎が玄関先で暴れ回っている光景を思い浮かべていた。きっとよく見たら、お玉の頬《ほお》に痣《あざ》でもありはしないかと思った。
伊東は『柳亭』へ行ってなにかと手伝いをしてやり、家へ戻ったのは夕暮れの四時過ぎであった。空は異様に薄明るく、死んだように風が落ちて、屋敷の中は深い谷底のようにしんとしていた。
「おい、どうしたんだ。家の中が真っ暗だね」
伊東の声にびっくりしたように、勝手口から飛び出してきた小婢《こおんな》は、
「ああ、旦那さまですか、お帰りあそばせ。わたし、お使いに行った婆《ばあ》やさんかと存じまして……」
と、吃《ども》りながら言った。
「柳亭のお玉さんの兄さんが汽車に轢かれて死んだのでね、いままで手伝いをしていたんだよ」
「まあ……そうでございますか。……あの、さきほど宝沢さまがお見えになりまして、しばらくお書斎でお待ちしていらっしゃいましたが、ちょっとその辺まで行ってくるとおっしゃってボートに乗ってお出かけになりました」
「そうか。ではお見えになったら、すぐお通ししておくれ
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