並べて歩いていた。伊東の紺サージの洋服にはミッドランドの若葉の匂《にお》いが寂しく染み込んでいた。彼の帰っていく東京の家には、年老いた父が病床で彼を待ち侘《わ》びていた。宝沢は麗《うら》らかな日光を全身に浴び、短い脚で伊東に遅れずにどしどし歩きながら、自分のやっている輸出入の商売がとんとん拍子に運んでゆくこと、横浜に近々支店を持つ計画などを語った。
 それからの宝沢と伊東とは、少なくも一年に二、三度は会っていた。――横浜に支店を持った宝沢――妻帯した彼――直一《なおいち》と名づけた子供――彼の酒癖――彼の撞球《たまつき》――彼の猟銃。
 最近の宝沢はこの世界的不況にすっかり商売をしくじって、本店も支店も閉鎖して、無理な借金の中に苦闘しているとか伊東は聞いていた。
「おや、電灯が点《つ》かないのでございますか」
 女中の声に初めて我に返った伊東は、弾《はじ》かれたようにバルコニーへ飛び出した。海は真っ暗で、いつか大粒の雨がスレートの屋根に重い音を立てている。
「おい、宝沢さんはまだ来ないか」
「……お見えになりませんが……さっきから、まだお戻りにならないのでございましょうか?」
「だって
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