私の心が浮立ないのは、恐らくモニカのことが頭脳の何処かに潜んでいたせいであろう。とはいえガスケル老人に従ってゆくという事は、私の生活である。性来なまけものの私は、この米国行を断って新に職を求むる為に努力する程の気力はなかった。
私は自分の全財産を詰めた貧しい二個のトランクを運送屋に渡すと、先ずこの事を柏に告げる為に再び家を出た。私は絵画を失って悄気返っている柏に、自分だけのいい話をしにゆくのを、少し可哀相だと思っていたが、部屋へ入ると、柏は調子外れなヴィオリンを弾きながら、陽気に流行唄を歌っていた。
「おい、飯田! 今日は奢るぞ」柏は楽器を寝台の上へ投出して勢よくいった。
「どうした。絵が出てきたのか?」
「盗んだ奴が金を届けてくれたんだ。誰だか名前は判らないが、有難い事だ。千円あれば当分内職なんかせずに絵を描いて暮せる」私は柏の為に金が入った事を喜ぶと共に、不思議な買主の事を考えさせられた。どうせ金を払う位なら、何故危険を冒して会場から絵を持ち出したのであろう。柏は私の米国行をきいて、
「お互に幸運が向いてきたんだよ」と心から喜んでくれた。彼は私が不意に出発する事に就ても、自分の手
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