と思って、悸《ぎょっ》としたが、柏云々という言葉で、多分柏からあの日の出来事だけを聞いたのであろうと思って、いくらか安堵した。
私共はそこで、小一時間も見張していたが、竟《つい》にルグナンシェは姿を見せなかったので、五階の彼の部屋へいって見る事にした。私は無論その前に部屋へ入った事は、おくびにも出さずにカクストン氏の後に従った。
「畜生! 狐のような奴だ。既う嗅付けてしまった」先に立って入口の扉をあけたカクストン氏は吐棄てるように呟いた。主のない部屋は窓も箪笥の抽出も開放しになって、彼の所持品は悉く紛失《なくな》っていた。
「君は柏君の描いた婦人の絵を、特にルグナンシェが盗んだという推理をどう説明するね」
カクストン氏は意味あり気にいった。私はそれを説明する理由を沢山持っていたが、
「さア……」と曖昧な応答をしておいた。
私はそれから間もなく、カクストン氏に別れて、グレー街へ帰った。その街はいつものように寂しく睡っていた。どこの家も老人計りの棲家のように、窓に厚いカーテンを下している。敷石の上を照すのは、街灯の光だけである。
ガスケル家の前には、見馴れぬ貨物自動車が一台並んでい
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