謎の街
松本泰

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)迂回《うかい》している

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)旧友|並山《なみやま》副領事

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#天から2字下げ]
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 坂の多いサンフランシスコの街々は自動車に乗っても電車に乗っても、目まぐるしいように眼界が転回する。八層、十層の高楼も、たちまち眼下に模型の建築物のように小さくなってしまう。
 雨の日は建物の地肌で赤く黒くそれぞれの色彩を保っているが、晴れた日は一様に黄色い日光を浴びている。
 高台の電車軌道の大きく迂回《うかい》しているところから左へ行くと、金門公園《きんもんこうえん》がある。
 太平洋沿岸の旅を終わって、日本へ帰る便船を待ちながらP街の『柳《やなぎ》ホテル』に滞在していたわたしは、ある早春の午後、その公園の疎林の中を歩いていた。枝ばかり残った枯れたような木々も、傍《そば》へ寄ってみると明るい空にいつか新芽を吹いている。
 わたしは静かな小径《こみち》を抜けて、水族館前の広場に出ようとした。その時、
「もしもし、失礼ですけれども……」
 と、不意に呼びかける者があった。
 それは紛れもない日本語で、しかも遠慮っぽい調子である。わたしは思わず足を止めた。見ると、二十五、六の鼠色《ねずみいろ》の背広を着た日本人が木陰のベンチから半ば立ち上がって、嘆願するようにわたしを見上げている。
「なんです? どうかしたのですか?」
 わたしは早合点をして傍へ寄っていった。青年がその日の生活に困って、物乞《ものご》いをするのだと思ったからである。けれども、自分はすぐ勘違いをしたことに気づいた。青年の服装はきちんとして靴も光っていた。
「見ず知らずの方に突然こんなことをお願いしたら、定めし変な奴《やつ》だとお思いになるでしょうが、どうぞわたしを助けてください。わたしはいま、絶体絶命の位置にいるのです。こんなことを申しては失礼ですけれども、わたしはあなたをお見かけした瞬間、きっとあなたならわたしのこの妙な話を平気で聞いてくださると思って、つい声をおかけしたのでございます」
 青年はそう言いながらも、落ち着きのない視線をわたしの肩越しに後ろへ投げている。
「きみを助けるのですって? わたしにそんな力があるでしょうか
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